大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

鹿児島地方裁判所 昭和29年(わ)370号 判決

主文

被告人松元道生を懲役二年に、

同松元田鶴枝を懲役八月に、

同地福馨を懲役一年六月に、

同大渡義夫を懲役十月に、

同地福尚哉を懲役六月に、

同幸田宏を懲役八月に、

同横山肇を懲役十月に、

同草野透を懲役五月に、

同隈部正人を懲役三月に、

同大井兼次を懲役一年に、

同熊原徹を懲役四月に、

同兼元清隆を懲役五月に、

同青山敦を懲役三月に、

同上竹清志を罰金二万円に、

同上妻正行を懲役五月に、

同中野晴雄を罰金三万円に、

同小城直哉を懲役六月に、

同南忠を懲役四月に、

同浜畑常吉を懲役三月に、それぞれ処する。

但し、本裁判確定の日から、被告人大渡義夫、同地福尚哉、同幸田宏、同上妻正行、同横山肇、同大井兼次に対しては各二年間、被告人松元田鶴枝、同草野透、同隈部正人、同熊原徹、同兼元清隆、同青山敦、同小城直哉、同南忠、同浜畑常吉に対しては各一年間、右各懲役刑の執行を猶予する。

被告人上竹清志、同中野晴雄において右各罰金を完納することができないときは、金五百円を一日に換算した期間当該被告人を労役場に留置する。

被告人横山肇より金一万七千六百円、同草野透より金三千九百円、同隈部正人より金千七百円、同大井兼次より金二万五千五百円、同熊原徹より金三千八百円、同兼元清隆より金三千六百円、同小城直哉より金二十万円、同南忠より金十万円、同浜畑常吉より金五万円を追徴する。

訴訟費用中、証人米盛順子、同松井葉留子(但し、昭和三十年一月二十八日附請求書の分)、同伊集院万里子(同上)、同若松信子(同上)に支給した分は被告人地福馨の負担、岩山ムメに支給した分(同上)は被告人地福馨、同大井兼次、同兼元清隆の負担、証人村山政義、同久木田正平に支給した分は被告人兼元清隆の負担、証人上入佐光子に支給した分は被告人大井兼次の負担、証人岩山ムメに支給した分(但し、昭和三十一年四月二十五日附請求書の分)は被告人地福馨、同大井兼次、同兼元清隆、同横山肇、同隈部正人の負担、証人伊集院万里子に支給した分(但し、昭和三十一年四月二十七日附請求書の分)の中二分の一は被告人地福馨、大渡義夫、同幸田宏、同熊原徹の負担、証人若松信子に支給した分(同上)は被告人地福馨、同大井兼次の負担、証人松井葉留子に支給した分(同上)は、被告人兼元清隆、同草野透、同横山肇、同大井兼次の負担、証人川原侃に支給した分は被告人地福馨、同幸田宏の負担、証人松野忍に支給した分は被告人小城直哉の負担、証人上妻正行に支給した分は被告人中野晴雄の負担とする。

昭和二十九年十一月十三日附起訴状(同年(わ)第四七八号)記載の公訴事実中第一の(2)、(4)、同月八日附起訴状(同年(わ)第四六一号)記載の公訴事実中第一の(三)、同月一日附起訴状(同年(わ)第四五三号)記載の公訴事実中、第一の3、4、第三の中第一の3に照応する部分、同月四日附起訴状(同年(わ)第四五八号)記載の公訴事実中、第一の二、三、四、第三の中同上に照応する部分、同年十月八日附起訴状(同年(わ)第四〇七号)記載の公訴事実中、第一の別表の六、第三の中同上に照応する部分、同月一日附起訴状(昭和二十九年(わ)第四五四号)記載の公訴事実中、第一の二の八、同月十一日附起訴状(同年(わ)第四七三号)記載の公訴事実中第一の点につき、被告人松元道生、同地福馨、同大渡義夫、同地福尚哉、同幸田宏は、いずれも無罪。

昭和二十九年十一月十三日附起訴状(同年(わ)第四七八号)記載の公訴事実中、第二の中第一の(1)ないし(4)に照応する点につき、被告人隈部正人は無罪。

昭和二十九年十一月四日附起訴状(同年(わ)第四五八号)記載の公訴事実中、第二の中第一、二、三、四に照応する点につき、被告人大井兼次は無罪。

昭和二十九年十月八日附起訴状(同年(わ)第四〇七号)記載の公訴事実中、第二の中第一の別表の六に照応する点につき、被告人横山肇は無罪。

昭和二十九年十一月八日附起訴状(同年(わ)第四六一号)記載の公訴事実中、第二の中第一の(三)、(四)に照応する点につき、被告人草野透は無罪。

昭和二十九年十一月二十九日附起訴状(同年(わ)第五一二号)記載の公訴事実中、第一の(三)の点につき、被告人上妻正行は無罪、同第三の点につき被告人浜畑常吉は無罪。

被告人曽木隆輝は無罪。

被告人四元幸男は無罪。

理由

一、罪となるべき事実 14(本書にては 113)

二、証拠の標目 49(〃 149)

三、法令の適用 81(〃 168)

四、刑の執行猶予 89(〃 171)

五、量刑の理由 89(〃 172)

六、労役場留置を言い渡した理由 95(〃 174)

七、追徴をなした理由 95(〃 174)

八、訴訟費用の負担を命じた理由 96(〃 175)

九、 弁護人の主張に対する判断 96(〃 175)

一〇、公訴事実中無罪の点の理由 97(〃 175)

1、主文において無罪を言い渡した点の理由 97(〃 175)

2、主文において言い渡さなかつた無罪の点の理由 144(〃 196)

一一、兼元及び曽木関係の贈収賄につき請託の点を認めなかつた理由 155(〃 201)

一、罪となるべき事実

第一、いわゆる「まつもと」事件関係―淫行勧誘、贈賄、収賄等

一、淫行勧誘(松元道生、同田鶴枝)(1)ないし(10)

二、監禁(松元道生)

三、贈賄(収賄)

(一)  横山肇関係(松元道生、地福馨、大渡義夫、幸田宏、地福尚哉)

(二)  大井兼次関係(右同)

(三)  隈部正人関係(右同)

(四)  草野透関係(右同)

(五)  熊原徹関係(右同)

(六)  兼元清隆関係(松元道生、地福馨、大渡義夫、幸田宏)

(七)  曽木隆輝関係(松元道生、地福馨、大渡義夫、幸田宏、地福尚哉)

(八)  四元幸男関係(右同)

四、暴行(大渡義夫)

五、公正証書原本不実記載同行使(松元道生、地福馨、地福尚哉、幸田宏)

六、背任(地福馨、青山敦、上竹清志)

第二、いわゆる「上妻建設」事件関係―贈賄、収賄

一、小城直哉関係(上妻正行)

二、南忠関係(上妻正行、中野晴雄)

三、浜畑常吉関係(上妻正行、中野晴雄)

四、大井兼次関係(上妻正行)

第一、(いわゆる「まつもと」事件関係)

一、(被告人松元道生、同松元田鶴枝の淫行勧誘)

被告人松元道生は、かつて三井物産株式会社京城支店、天津支店、張家口支店、鹿児島出張所等に勤務したが、終戦後土建業を始め、昭和二十八年五月には天洋建設株式会社取締役社長となつたが、これより先同年三月鹿児島市鴨池町六百五十三番地の自宅で妻被告人松元田鶴枝名義で割烹旅館「まつもと」を経営するようになつた。ところが、同旅館は場所柄等の関係で客も少いところから、被告人松元道生、同松元田鶴枝夫婦は種々経営方法を相談している中、従来の酒席等での話題の中からヒントを得て、売春の経験のない婦女を勧誘して同旅館で遊客と情交させることによつて、そのための部屋代等を得て利益をあげようと考えた。そこで或いは鹿児島市内の繁華街の喫茶店で男子高校生に話しかけてその女友達の紹介を受け、更にそれからそれへと順次友人を紹介させ、或いは前記会社の女子事務員等に命じて前記旅館を会社の寮と称し、百貨店勤務の友人を紹介させ、或いは会社の寮と称した前記旅館専従の寮付女事務員として募集する等して知つたこれ等売春の経験のない婦女に対して、後記のとおり遊客と情交して金銭を得るよう勧めようと考え、両名共謀の上、前記のとおり営利の目的をもつて

(1)  昭和二十八年八月二十一日頃右旅館「まつもと」で、淫行の常習のない使用人(前記会社寮付女事務員)地福光子(昭和七年一月一日生)に対し、遊客と情交するよう勧誘し、同夜同旅館で久保忠義と姦淫させ、同人より部屋代として千二百円位を取得し、

(2)  昭和二十八年九月下旬頃右旅館で、仲居の岩山ムメを介して淫行の常習のない使用人(寮付女事務員)堅山勝子(昭和四年十一月二十三日生)に対し、前同様勧誘し、同夜同旅館で上妻正行と姦淫させ、同人より部屋代として千二百円位を取得し、

(3)  昭和二十八年十一月中旬頃右旅館で、淫行の常習のない川原園和子(百貨店女店員)(当時二十一年)に対し、遊客と情交するよう勧誘し、同夜同旅館で園田学と姦淫させ、同人より部屋代として千二百円位を取得し、

(4)  昭和二十九年六月中旬頃右旅館で、淫行の常習のない小倉八重子(看護婦学校生徒)(昭和十四年二月二十八日生)に対し、前同様勧誘し、同夜同旅館で野間嘉愛と姦淫させ、同人より部屋代として千二百円位を取得し、

(5)  昭和二十九年六月二十日頃右旅館で、淫行の常習のない山口智慧子(昭和十二年五月三十一日生)に対し、前同様勧誘し、同日同旅館で氏名不詳の男客(当五十年位)と姦淫させ、同人より部屋代として千二百円位を取得し、

(6)  昭和二十九年六月中旬頃右旅館で、淫行の常習のない福永節子(昭和十年九月十七日生)に対し、前同様勧誘し、同日同旅館で杉本一郎と姦淫させ、同人より部屋代として千二百円位を取得し、

(7)  昭和二十八年九月上旬頃右旅館で、淫行の常習のない鮫島貞子(高校生)(昭和十一年一月十日生)に対し、前同様勧誘し、同日同旅館で氏名不詳の男客(当四十二、三年位)と姦淫させ、同人より部屋代として千二百円位を取得し、

(8)  昭和二十八年六月頃右旅館で、淫行の常習のない神宮司妙子(百貨店女店員)(昭和六年五月六日生)に対し、前同様勧誘し、同日同旅館で園田学と姦淫させ、同人より部屋代として千二百円位を取得し、

(9)  昭和二十九年六月初旬頃右旅館で、淫行の常習のない津留和子こと野入和子(自称高校生)(昭和十一年一月十九日生)に対し、前同様勧誘し、同日同旅館で氏名不詳の男客(当四、五十年位)と姦淫させ、同人より部屋代として千二百円位を取得し、

(10)  昭和二十九年六月中旬頃右旅館で、淫行の常習のない池田功(アツ)子(女工員)(昭和十四年一月三十日生)に対し、前同様勧誘し、同日同旅館で氏名不詳の男客(当五十年位)と姦淫させ、同人より部屋代として千二百円位を取得し、

もつてそれぞれ淫行を勧誘したものである。

二、(被告人松元道生の監禁)

被告人松元道生は昭和二十九年五月頃旅館で、使用人地福光子に対し、同女が前夜同被告人が指定した遊客と情交しなかつたこと、及び同旅館に出入する婦女に対し、同所で売春が行われていることを警察が知つているから用心した方がよいと注意した旨聞知して憤慨し、同日午前八時頃より約二時間位に亘つて同女を同旅館の奥三畳の間に閉じ込め出入口に旋錠し、もつて不法に同女を監禁したものである。

三、(贈賄、収賄)

被告人松元道生、同地福馨、同地福尚哉、同幸田宏、同大渡義夫は、昭和二十八年三月頃より土木、水道及び建築の請負業を目的とする天洋建設株式会社の設立準備を始め、同会社は同年五月一日鹿児島市東千石町五十六番地に設立された旨の登記を済ませ、同月六日建設業の登録を了し、同年六月三日鹿児島県知事より入札参加資格、工事施行能力審査合格通知書を受領した。そして、被告人松元はその代表取締役社長、同地福馨は代表取締役会長、同地福尚哉、同幸田宏は常務取締役となり、右設立の際いずれも取締役の登記をなし、また被告人大渡は同月十日頃から同会社に正式に関係し、やがて取締役副社長となり同月二十日取締役の登記をした。而して、被告人松元、同地福馨は会社業務一切、なかでも金融の操作、対官公庁関係、同大渡は対官公庁関係のほか工事現場の指導監督、同幸田は対官公庁関係のほか技術関係、同地福尚哉は対官公庁関係、なかでも鹿児島土木出張所関係と一応の業務の分担を定めたが、右被告人等はいずれも会社幹部として同会社の運営に参画した。ところで、被告人松元道生は同会社設立当初頃、同会社事務所応接室等で被告人地福馨、同大渡、同幸田、同地福尚哉に対し、同会社の経営方針として同会社が新設会社であるため既設の同業者に伍して行くには積極的に関係官公庁等の担当者に運動する要があるとし、そのためには酒好きの者には酒、女好きの者には婦女を提供するほかないとし、殊に右婦女には、かつて被占領当時進駐軍の係官等を接待するため渉外係女事務員を採用した会社があつたという噂にヒントを得て、会社の女事務員として採用したものをもつて、あてることを提唱し、被告人地福馨、同大渡、同幸田、同地福尚哉はいずれも会社幹部として被告人松元の右方針を了承し、これに賛同し関係官公庁等の担当者を招待するについて従来からの関係等を考慮して各被告人間で大体の分担を定め、また同年四月末から五月初めにかけて前記目的にあてる女事務員を採用したが、その際、あらかじめ容姿のよいこと、かつて異性と交渉のあつたこと、会社の招待する客の接待のため帰宅時間が遅くなつてもよいこと等を確め、本給の外に渉外手当として五千円を支給することとし、同女等にはその頃いずれも右趣旨を諒解させ、ここに被告人等は前記のとおり贈賄に関して共謀の上、前記方針により同会社を運営することを企図し、

(一)  (横山肇関係)

被告人横山肇は当時鹿児島県技術吏員で昭和二十五年六月より昭和二十八年九月三十日迄鹿児島市州崎町二十一番地鹿児島土木出張所長として勤務し、県費支弁土木工事の施行、県費補助土木工事の指導、監督等同出張所処務規定所定の事務に従事していたところ、

(1)  前記天洋建設株式会社は昭和二十八年六月三日頃より同年七月三日頃までの間に応急災害工事約七件の随意請負契約を結び、また数件の県関係工事入札指名の推せんを受けて入札し、その頃より同年八月下旬頃までの間に被告人横山の監督のもとに右各工事を施行し、その竣功検査を受けたが、被告人松元道生、同地福馨、同大渡義夫、同地福尚哉、同幸田宏は、共謀の上、被告人松元がその妻田鶴枝名義で経営する旅館「まつもと」で、被告人横山に対し、前記のごとき工事下命、県関係工事入札指名の推せんおよび工事の監督、検査等同会社に関連する同被告人の職務執行につき将来便宜な取扱をして貰いたいという趣旨で別紙一覧表(一)記載のとおり御馳走し、かつ同旅館の一室を提供の上、同表記載の前記会社女事務員と情交若しくは同衾させ、もつてそれぞれ同被告人の職務に関し賄賂を供与し、

(2)  被告人横山肇は、自己の前記職務執行につき将来便宜な取扱をして貰いたい趣旨で提供されるものであることの情を知りながら別紙一覧表(一)記載のとおり御馳走になり、かつ同旅館の一室の提供を受け、前記会社女事務員と情交若しくは同衾し、もつてそれぞれその職務に関し賄賂を収受し、

一覧表(一)(横山肇関係)

〈省略〉

〈省略〉

(二)  (大井兼次関係)

被告人大井兼次は、鹿児島県技術吏員で昭和二十三年八月同県農地部耕地課建設工事係長、同年九月同課調査計画係長、同二十九年五月一日同課長職務代理となつたが、同二十四年五月十一日同課長補佐、代決順位第二位となり、同課所管の県営工事執行等に関する事務に従事していたものであるところ、

(1)  被告人松元道生、同地福馨、同大渡義夫、同地福尚哉、同幸田宏は、共謀の上、前記旅館で、被告人大井に対し、前記のごとく耕地課所管の工事執行に関し入札者の指名その他工事執行に伴う同課の諸事務等同会社に関連する同被告人の職務執行につき将来便宜な取扱をして貰いたいという趣旨で別紙一覧表(二)記載のとおり御馳走をし、かつ同旅館の一室を提供の上、同表記載の前記会社女事務員と情交若しくは同衾させ、もつてそれぞれ同被告人の職務に関し賄賂を供与し、

(2)  被告人大井兼次は前記(1)記載のとおり自己の前記職務執行につき将来便宜な取扱いをして貰いたい趣旨で提供されるものであることの情を知りながら御馳走になり、かつ同旅館の一室の提供を受け、前記会社女事務員と情交し、もつてそれぞれその職務に関し賄賂を収受し、

一覧表(二)(大井関係)

〈省略〉

(三)(隈部正人関係)

被告人隈部正人は、昭和二十七年三月十六日鹿児島県技術吏員となり、同時に同県土木部計画課長に補せられ、同課所管の都市災害復旧事業、戦災復興都市計画事業、街路事業の各工事の執行及び上下水道工事の指導監督等の事務に従事していたところ、

(1)  被告人松元道生、同地福馨、同大渡義夫、同地福尚哉、同幸田宏は、共謀の上、被告人隈部に対し上水道工事の指名入札の推せんおよび都市災害復旧工事、復興都市計画工事、街路工事の入札指名等前記会社に関連する同被告人の職務執行につき将来便宜な取扱をして貰いたいという趣旨で、

(イ) 昭和二十八年五月五日前記旅館「まつもと」で五百円見当の御馳走をし、

(ロ) 同年七月二十四日同旅館で、五百円見当の御馳走をし、

(ハ) 同年八月二十八日鹿児島駅でサントリー・ウイスキー角瓶一本及び肴若干(千二百円見当)を贈与し、

(ニ) 同年九月九日前記旅館「まつもと」で五百円見当の御馳走をし、もつて、それぞれ同被告人の職務に関し賄賂を供与し、

(2)  被告人隈部正人は、前記(1)の(ハ)、(ニ)記載のとおり前記職務執行につき将来便宜な取扱をして貰いたい趣旨で提供されるものであることの情を知りながら御馳走になり、若しくは物品の贈与を受け、もつてそれぞれその職務に関し賄賂を収受し、

(四)  (草野透関係)

被告人草野透は、鹿児島県事務吏員で、昭和二十八年七月から同二十九年五月迄同県土木部計画課課長補佐として、同課所管の都市災害復旧事業、戦災復興事業、街路事業等各工事の入札者の指名、入札の執行、工事の検査、並びに上水道工事の指導監督等に関する職務に従事していたところ、

(1)  被告人松元道生、同地福馨、同大渡義夫、同地福尚哉、同幸田宏は、共謀のうえ、被告人草野透に対し、上水道工事入札者指名の推せんおよび都市災害工事、戦災復興工事、街路工事に関する入札指名等前記会社に関連する同被告人の職務執行につき将来便宜な取扱をして貰いたいという趣旨で、

(イ) 昭和二十八年七月二十四日前記旅館「まつもと」で五百円見当の御馳走をし、かつ同旅館の一室を提供のうえ前記会社女事務員松井葉留子と情交させ、

(ロ) 同年八月八日同旅館で五百円見当の御馳走をし、かつ同旅館の一室を提供のうえ同女と情交させ、

(ハ) 同月二十七日西鹿児島駅でサントリーウイスキー角瓶一本および肴若干(千二百円見当)を提供しようとして、その申込をなし、

(ニ) 同年九月九日前記旅館で五百円見当の御馳走をし、かつ同旅館の一室を提供のうえ前記松井葉留子と情交させ、

もつてそれぞれ同被告人の職務に関し賄賂を供与し、若しくはその申込をなし、

(2)  被告人草野透は、前記(1)の(イ)(ロ)(ニ)記載のとおり自己の前記職務執行につき将来便宜な取扱をして貰いたい趣旨で提供されるものであることの情を知りながら、御馳走になり、かつ同旅館の一室の提供を受け、前記会社女事務員と情交し、もつてそれぞれその職務に関し賄賂を収受し、

(五)  (熊原徹関係)

被告人熊原徹は鹿児島県技術吏員で昭和二十八年一月十六日頃より鹿児島県加治木耕地出張所県営事業係技師として勤務し、昭和二十八年四月頃より昭和二十九年二月十一日頃までの間に亘り、始良郡重富村における代行建設開拓道路工事の実施、工事監督、下検査、出来高、竣工検査立会等に関する事務に従事していたところ、

(1)  前記会社は昭和二十八年七月より同二十九年二月までの間に被告人熊原の監督のもとに鹿児島県始良郡重富村平松、高牧での昭和二十八年度代行建設開拓道路工事第一、第二、第三次請負工事を施行したが、被告人松元道生、同地福馨、同大渡義夫、同地福尚哉、同幸田宏は、共謀のうえ、前記旅館「まつもと」で、被告人熊原徹に対し、前記のごとき重富村での代行建設開拓道路工事の監督、検査に関する事務等同会社に関連する同被告人の職務執行に対する謝礼および将来便宜な取扱をして貰いたいという趣旨で、

(イ) 昭和二十八年七月二十日千七百円見当の御馳走をし、かつ同旅館の一室を提供のうえ前記会社女事務員伊集院満里子(当時町田姓)と情交させ、

(ロ) 同年八月八日千百円見当の御馳走をし、かつ同女と情交させ、

(ハ) 同年八月十二日五百円見当の御馳走をし、

(ニ) 同年九月二十八日五百円見当の御馳走をし、

もつてそれぞれ同被告人の職務に関し賄賂を供与し、

(2)  被告人熊原徹は前記(1)記載のとおり自己の前記職務執行に対する謝礼および将来便宜な取扱をして貰いたいという趣旨で提供されるものであることの情を知りながら御馳走になり、かつ、同旅館の一室の提供を受け、前記会社女事務員と情交し、もつてその職務に関し賄賂を収受し、

(六)  (兼元清隆関係)

被告人兼元清隆は昭和二十八年四月より鹿屋市建設課長として土木、水道建築等の工事の執行、入札者の指名、工事の監督、検査等に関する事務に従事していたところ、

(1)  被告人松元道生、同地福馨、同大渡義夫、同幸田宏は共謀のうえ、被告人兼元清隆に対し、同市土木、水道工事の下命、工事入札指名等前記会社に関連する同被告人の職務執行に対する謝礼(後記(ロ)(ハ))若しくは将来便宜な取扱(後記(イ))をして貰いたいという趣旨で、前記旅館「まつもと」で、

(イ) 昭和二十八年九月十九日五百円見当の御馳走をし、かつ同旅館の一室を提供のうえ前記会社女事務員松井葉留子と情交させ、

(ロ) 同年十一月上旬五百円見当の御馳走をし、かつ同旅館の一室を提供のうえ同女と情交させ、

(ハ) 同月下旬二百円見当の御馳走をし、

もつてそれぞれ同被告人の職務に関し賄賂を供与し、

(2)  被告人兼元清隆は前記(1)記載のとおり自己の前記職務の執行に対する謝礼若しくは将来便宜な取扱をして貰いたいという趣旨で提供されるものであることの情を知りながら御馳走になり、かつ同旅館の一室の提供を受け前記会社女事務員と情交し、

もつてそれぞれその職務に関し賄賂を収受し、

(七)  (曽木隆輝関係)

被告人曽木隆輝は昭和二十二年五月頃より鹿児島県始良郡加治木町長として同町役場における事務一切を指揮監督し、同町が施行する昭和二十八年度加治木町上水道工事につき競争入札すべきものの指名、予定価格の決定等に関する業務に従事してきたものであるが、被告人松元道生、同地福馨、同大渡義夫、同地福尚哉、同幸田宏は共謀のうえ、前記旅館「まつもと」で、被告人曽木に対し、前記昭和二十八年度加治木町上水道工事の入札、指名等前記会社に関連する同被告人の職務執行につき将来便宜な取扱いをして貰いたい趣旨で、

(1)  昭和二十八年六月二日五百円見当の御馳走をし、かつ同旅館の一室を提供のうえ前記会社女事務員船川二見と同衾させ、

(2)  同年六月十九日五百円見当の御馳走をし、

(3)  同年七月八日五百円見当の御馳走をし、

(4)  同年九月上旬五百円見当の御馳走をし、かつ同旅館の一室の提供を受け、前記会社寮附事務員地福光子と情交させ、もつてそれぞれ同被告人の職務に関し賄賂を供与し、

(八)  (四元幸男関係)

被告人四元幸男は、鹿児島県土木事務吏員であつて、昭和二十六年七月十四日から同二十八年六月三十日まで同県土木部計画課長補佐として、都市災害復旧事業、戦災復興事業、街路事業等の各工事の入札者の指名、入札執行、工事の検査および上水道工事の指導、監督等に関する事務に従事していたものであるが、被告人松元道生、同地福馨、同大渡義夫、同地福尚哉、同幸田宏は共謀のうえ、前記旅館「まつもと」で、被告人四元に対し、上水道工事の指名、入札者の推せん、都市災害工事、戦災復興工事、街路工事の入札、指名等に関する事務等前記会社に関連する同被告人の職務執行につき、将来便宜な取扱をして貰いたいという趣旨で、

(1)  昭和二十八年五月五日五百円見当の御馳走をし、かつ同旅館の一室を提供のうえ前記会社女事務員船川二見と同衾させ、

(2)  同年六月十三日同旅館の一室を提供のうえ右船川二見と情交させ、

もつてそれぞれ同被告人の職務に関し賄賂を供与し

たものである。

四、(被告人大渡義夫の暴行)

被告人大渡義夫は昭和二十八年八月十日頃の夜前記旅館「まつもと」で会社が招待した公務員に対する船川二見の応待がよろしくないと憤慨し、同女の顔面を平手で数回殴打し、もつて暴行したものである。

五、(公正証書原本不実記載同行使)

被告人地福馨、同松元道生、同地福尚哉、同幸田宏は、共謀のうえ、土木、水道、建築請負を目的とする発行済株式の総数三千株発行済額面株式の数同上、額面株式の一株の金額千円の天洋建設株式会社の設立を発起し、現実の株金の支払がないのにあつたようにこれを仮装し、また創立総会を開いたこともなく、かつ同総会で取締役等を選任したことがないのに拘らず、昭和二十八年五月一日鹿児島市東千石町五十六番地天洋建設株式会社創立事務所で株主全部出席のうえ創立総会を開き右被告人四名および竹迫信雄並びに馬場信男を取締役に、中尾浅逸を監査役に選任したこととし、その旨の書面を作成し、情を知らない荒木武雄を介して川原侃をその代理人として右文書を定款その他の書類と共に同会社設立登記申請書に添附し同日これを鹿児島市山下町百十九番地の一鹿児島地方法務局に提出させ、同日同局係員をして登記簿の原本に天洋建設株式会社設立登記の年月日を昭和二十八年五月一日、資本の額三百万円、発行済株式の総数三千株、発行済額面株式の数同上、額面株式の一株の金額を千円、取締役および監査役として前記被告人等が選任された旨等会社の設立に関して不実の記載をなさしめ、即時これを同局に備え付けさせて、行使したものである。

六、(被告人地福馨、同青山敦、同上竹清志の背任)

被告人青山敦は鹿児島市堀江町十五番地所在鹿児島県信用漁業協同組合連合会専務理事、同上竹清志は同連合会貸付課長としていずれも同連合会の貸付業務に従事しているものであるが、同連合会では、法令並びに定款の規定により各単位組合への貸付は許されているが、それ以外の者への貸付は許されておらず、このことは右被告人両名が同連合会の貸付業務担当者として知悉しているところであつて、誠実にこれを遵守すべき任務を有していたものであるところ、被告人両名は、昭和二十八年五月一日同連合会で同連合会理事で谷山信用漁業協同組合長であつた被告人地福馨より同被告人が代表取締役会長となるべき天洋建設株式会社の設立登記申請に必要な株金払込を仮装するため金三百万円を貸付けて貰いたい旨依頼されて、これを承諾し、ここに被告人青山、同上竹は共謀のうえ、被告人地福に融通することにより連合会に損害を生じさせる危険のあることを認識しながら、同被告人と共謀のうえ、同被告人に対し不法に融資の利益を図る目的で、同連合会の貸付業務担当者としての前記任務に背き、金三百万円を同連合会事務所で同被告人に融資し、同連合会に右同額の損害を与え、

被告人地福馨は、被告人青山、同上竹が前記の如くその任務に背き、自己のため不法に融資をなすものであることを認識しながら、右被告人両名と共謀のうえ前記の如く自己に融資を受け、前記損害を連合会に加え、もつて被告人青山、同上竹の背任行為に加功したものである。

第二、(いわゆる上妻建設関係)

被告人上妻正行は昭和二十五年十二月十四日鹿児島市西田町百八十番地(昭和二十六年五月三十一日同市山之口町十三番地第百生命ビル三階に移転)に建設業を目的とする上妻建設株式会社を設立して代表取締役社長となり、同会社の業務一切を指揮監督し、被告人中野晴雄は昭和二十七年十月同会社取締役となり常務取締役として同会社の運営に参画したもので、同会社は鹿児島県始良郡振興地区の災害復旧工事、同県川辺郡川辺町松崎地区シラス対策工事を請負い施行し、昭和二十九年四月初旬竣工検査を受けたが、

一、(小城直哉関係)

被告人小城直哉は昭和二十一年五月鹿児島県技師同県農地部耕地課長となり昭和二十八年四月三十日附で退職するまで同課長として、同課所掌の前記振興、松崎両地区のほか同課所管の県営農業土木工事全般の執行に関する事務を担当処理したものであるところ、

(一)  被告人上妻正行は昭和二十八年九月二日頃鹿児島市下荒田町四百四十番地被告人小城直哉方で、同被告人に対し、前記の如く両地区工事執行に関する事務等同会社に関連する同被告人の職務執行に対する謝礼および将来便宜な取扱をして貰いたいという趣旨で現金二十万円を贈与して、もつて同被告人の職務に関し賄賂を供与し、

(二)  被告人小城直哉は前記(一)記載のとおり自己の前記職務執行に対する謝礼および将来便宜な取扱をして貰いたいという趣旨であることの情を知りながら、前記金員を貰い受け、もつてその職務に関し賄賂を収受し、

二、(南忠関係)

被告人南忠は鹿児島県技術吏員で昭和二十七年八月農地部耕地課建設係長となり前記両地区工事等同課所管の県営工事の執行に関する事務を担当していたものであるところ、

(一)  被告人上妻正行および同中野晴雄は共謀のうえ、昭和二十九年一月四日頃鹿児島市武町千六百四十四番地の被告人南忠の下宿で、同被告人に対し、前記のごとく両地区工事執行に関する事務等同会社に関連する同被告人の職務執行に対する謝礼および将来便宜な取扱をして貰いたいという趣旨で金十万円を贈与し、もつて同被告人の職務に関し賄賂を供与し、

(二)  被告人南忠は前記(一)記載のとおり自己の前記職務執行に対する謝礼および将来便宜な取扱をして貰いたい趣旨で提供されるものであることの情を知りながら前記金員を貰い受けて、もつてその職務に関し賄賂を収受し、

三、(浜畑常吉関係)

被告人浜畑常吉は鹿児島県技術吏員で、昭和二十四年十月同県加治木耕地出張所県営事業係長となり昭和二十九年五月七日岩川耕地出張所長に転じたもので、前記振興地区工事等同県耕地課の出先機関である同出張所所管の各種土木工事(国営の代行工事、県営工事)の実施に関する事務に従事していたところ、

(一)  被告人上妻正行および同中野晴雄は、共謀のうえ、昭和二十八年六月三十日頃鹿児島市鴨池動物園道路上で、被告人浜畑常吉に対し、前記のごとく振興地区工事執行に関する事務等同会社に関連する同被告人の職務執行に対する謝礼および将来便宜な取扱をして貰いたいという趣旨で現金五万円を贈与し、もつて同被告人の職務に関し賄賂を供与し、

(二)  被告人浜畑常吉は前記(一)記載のとおり自己の前記職務執行に対する謝礼および将来便宜な取扱をして貰いたい趣旨で提供されるものであることの情を知りながら前記金員を貰い受け、もつて自己の職務に関し賄賂を収受し、

四、(大井兼次関係)

被告人大井兼次は前示第一の三の(二)記載のとおりの事務に従事していたものであるところ、

(一)  被告人上妻正行は同大井に対し、前記のごとく耕地課所管の工事執行に関し入札者の指名その他の工事執行に伴う同課の諸事務等同会社に関連する同被告人の職務執行に対する謝礼および将来便宜な取扱をして貰いたいという趣旨で、

(1)  昭和二十八年三月十四日頃鹿児島駅で中野晴雄を介して金一万円を贈与し、

(2)  昭和二十九年七月下旬頃熊本市新市街丸小旅館で現金五千円を贈与し、

もつてそれぞれ同被告人の職務に関し賄賂を供与し、

(二)  被告人大井兼次は、前記(一)記載のとおり自己の前記職務執行に対する謝礼および将来便宜な取扱をして貰いたいという趣旨で提供されるものであることの情を知りながら前記金員を貰い受けて、もつてそれぞれその職務に関し賄賂を収受したものである。

二、証拠の標目

罪となるべき事実の第一の一の点について。

1、第一回公判調書中被告人松元道生、同松元田鶴枝の供述記載部分

2、被告人松元道生の司法警察員に対する供述調書(三通)

3、同被告人の検察事務官に対する供述調書(二通)

4、同被告人の検察官に対する昭和二十九年九月十一日附、同月十四日附、同月十日附、同月十一日附、同月十五日附各供述調書

5、被告人松元田鶴枝の検察事務官に対する供述調書(四通)

6、同被告人の検察官に対する昭和二十九年九月十四日附、同月二十日附各供述調書謄本

7、同被告人の検察官に対する昭和二十九年九月十日附、同月十三日附、同月十四日附、同月十五日附、同年十月十四日附各供述調書

8、岩山ムメの司法警察員に対する供述調書

9、同人の検察事務官に対する供述調書(二通)

10、同人の検察官に対する供述調書謄本(二通)

11、伊集院満里子の検察官に対する昭和二十九年九月十六日附、同月十一日附各供述調書(但し後者は第一の一の(7)の点につき)

12、鮫島富の検察官に対する供述調書

13、木佐貫笑子の司法警察員に対する供述調書

14、益元良子の司法警察員に対する供述調書

15、松井葉留子の検察官に対する昭和二十九年九月二日附供述調書

16、地福光子の司法警察員に対する供述調書(第一の一の(1)の点につき)

17、同人の検察官に対する供述調書(二通)(右同)

18、堅山勝子の司法警察員に対する供述調書(第一の一の(2)の点につき)

19、同人の検察官に対する供述調書(三通)(右同)

20、川原園和子の検察官に対する供述調書(第一の一の(3)の点につき)

21、小倉八重子の司法警察員に対する供述調書(第一の一の(4)の点につき)

22、同人の検察官に対する供述調書(右同)

23、山口知慧子の司法警察員に対する供述調書(第一の一の(5)の点につき)

24、同人の検察官に対する供述調書(右同)

25、福永節子の司法警察員に対する供述調書(第一の一の(6)の点につき)

26、同人の検察官に対する供述調書(右同)

27、鮫島貞子の司法警察員に対する供述調書(第一の一の(7)の点につき)

28、同人の検察官に対する供述調書(右同)

29、同人の検察事務官に対する供述調書(右同)

30、神宮路妙子の司法警察員に対する供述調書(第一の一の(8)の点につき)

31、同人の検察官に対する供述調書(右同)

32、津留和子こと野入和子の司法警察員に対する供述調書(第一の一の(9)の点につき)

33、同人の検察官に対する供述調書(右同)

34、池田功子の司法警察員に対する供述調書(第一の一の(10)の点につき)

35、池田功子の検察官に対する供述調書(右同)

36、野田嘉愛の司法警察員に対する供述調書(第一の一の(4)の点につき)

37、同人の検察官に対する供述調書(右同)

38、杉本一郎の検察官に対する供述調書(第一の一の(6)の点につき)

39、上妻正行の検察官に対する昭和二十九年九月十五日附供述調書(第一の一の(2)の点につき)

40、久保忠義の検察官に対する供述調書(第一の一の(1)の点につき)

41、園田学の検察官に対する昭和二十九年九月十一日附供述調書(第一の一の(3)、(8)の点につき)

罪となるべき事実の第一の二の点について。

1、第一回公判調書中被告人松元道生の供述記載部分

2、同被告人の検察官に対する昭和二十九年九月十四日附供述調書

3、地福光子の検察官に対する昭和二十九年九月七日附、同月八日附各供述調書

4、松井葉留子の検察官に対する昭和二十九年九月十一日附供述調書

5、野田郁子の検察官に対する供述調書

6、検察官作成の検証調書

罪となるべき事実の第一の三の点について。

1、被告人松元道生、同地福馨、同大渡義夫、同幸田宏、同地福尚哉の当公廷における各供述中判示事実に照応する部分

2、被告人松元道生の検察官に対する昭和二十九年九月九日附、同月十三日附、同月十四日附、同月十七日附及び同月二十七日附各供述調書(九月九日附、九月十三日附、九月二十七日附各調書は被告人地福馨の関係については除く)

3、被告人地福馨の検察官に対する昭和二十九年九月三十日附及び同年十月八日附各供述調書

4、被告人大渡義夫の昭和二十九年九月十八日附、同月十九日附、同年十月十五日附、同月十六日附及び同月十九日附各供述調書

(十月十五日附、同月十六日附、同月十九日附調書は被告人地福馨の関係については除く)

5、被告人幸田宏の検察官に対する昭和二十九年九月十九日附(請求書一〇に十月一日附とあるは誤記と認める)、同月二十五日附及び同年十月一日附各供調述書(九月二十五日附調書は被告人地福馨の関係については除く)

6、被告人地福尚哉の検察官に対する昭和二十九年九月二十二日附、同年十月四日附及び同月五日附各供述調書

7、房村マサ子の検察官に対する供述調書(二通)

8、浜上満雄の検察官に対する供述調書

9、浜田信男の検察官に対する昭和二十九年十月二日附供述調書

10、証人伊集院万里子、同若松信子、同松井葉留子、同上入佐光子、同岩山ムメの当公廷における各供述

11、米盛順子の検察官に対する昭和二十九年十月一日附供述調書(被告人地福馨の関係については除く)

12、伊集院万里子の検察官に対する昭和二十九年九月十一日附及び同年十月五日附各供述調書

13、松井葉留子の検察官に対する昭和二十九年九月十一日附、同年十月四日附、同月十二日附及び同月十四日附各供述調書

14、当裁判所の証人米盛順子、同松井葉留子、同伊集院万里子、同若松信子に対する各証人尋問調書(被告人地福馨の関係につき)

15、松元田鶴枝の検察官に対する昭和二十九年九月十四日附及び同年十月十六日附各供述調書(被告人地福肇の関係については除く)

16、証人松元田鶴枝の当公廷における供述

17、鮫島富の検察官に対する供述調書

18、地福光子の検察官に対する昭和二十九年九月十七日附供述調書

19、第三回公判調書中証人岩山ムメの供述記載部分

20、岩山ムメの検察官に対する昭和二十九年九月十九日附供述調書

21、領置してある金銭出納帳(証第一、二、三号)

22、同請求書綴(証第四号)

23、同自動車運転日報(証第五号)

24、同業務日誌(証第六号)

25、同松元田鶴枝の手帳(証第七号)

26、同三百万円約束手形(証第八号)

27、同入札指名書綴(証第九号)

28、同被告人大渡義夫の手帳(証第一〇、一一号)

29、同支払計画書(証第一二号)

30、同市外電話簿(証第一三号)

31、同詮衡調書(証第一四号)

32、同家屋賃貸借契約書(証第一五号)

33、同工事出面表(証第一六号)

34、同超過勤務控綴(証第一七号)

罪となるべき事実の第一の三の(一)の点について。

1、被告原横山肇の当公廷における供述中判示事実に照応する部分

2、被告人横山肇の検察官に対する供述調書(二通)

3、被告人松元道生の検査官に対する昭和二十九年九月二十九日附、同年十月一日附、同月七日附及び同月九日附各供述調書(九月二十九日附調書以外は被告人地福馨の関係については除く)

4、被告人大渡義夫の検察官に対する昭和二十九年十月二日附及び同月十三日附各供述調書(被告人地福馨の関係については除く)

5、被告人幸田宏の検察官に対する昭和二十九年十月二日附、同月四日附、同月五日附及び同月八日附各供述調書(右同)

6、被告人地福尚哉の検察官に対する昭和二十九年十月八日附供述調書(右同)

7、山田利広の検察官に対する昭和二十九年十月七日附供述調書(右同)

8、松井葉留子の検察官に対する昭和二十九年九月十四日附、同月二十二日附及び同月二十六日附各供述調書(九月二十二日附調書は被告人地福馨の関係については除く)

9、羽牟富太郎の検察官に対する供述調書(三通)

10、中間好の検察官に対する供述調書(三通)

11、中村喜直の検察官に対する昭和二十九年九月二十九日附供述調書

12、吉松孝志の検察官に対する昭和二十九年十月四日附供述調書

13、浜田栄之丞の検察官に対する昭和二十九年九月二十九日附供述調書

14、竹迫信雄の検察官に対する昭和二十九年九月二十八日附供述調書

15、重広邦彦の検察官に対する昭和二十九年九月二十八日附供述調書

16、橋口政子の検察官に対する昭和二十九年九月二十八日附供述調書

17、平井信男の検察官に対する供述調書(二通)

18、領置してある昭和二十八年度鹿児島土木出張所建設業者登録台帳(証第十八号)

19、同昭和二十八年度県営道路(自第一号至第五九号)災害応急工事鹿児島土木出張所なる綴(証第一九号)

20、同昭和二十八年度道路災害第五四号工事記録(証第二〇号)

21、同昭和二十八年度郡山駅下の災害応急工事記録(証第二一号)

22、同昭和二十八年度災害概算報告書(証第二二号)

23、同昭和二十八年度災害応急工事関係綴(証第二三号)

24、同鹿児島土木出張所昭和二十八年度日誌(証第二四号)

25、同土木事務所長職務権限事項審級比較表(証第二五号)

26、同応急工事台帳(証第二六号)

27、同谷山町中茶屋工事記録(証第二七号)

28、同吉野町一間トンネル工事記録(証第二八号)

罪となるべき事実の第一の三の(二)の点について。

1、被告人大井兼次の当公廷における供述中判示事実に照応する部分

2、被告人大井兼次の検察官に対する昭和二十九年十月十六日附、同月二十三日附、同年十一月二日附各供述調書

3、被告人松元道生の検察官に対する昭和二十九年十月十一日附、同月十二日附、同年十一月三日附、同月四日附(二通)各供述調書(十一月四日附、同月十三日附各調書以外は被告人地福馨の関係については除く)

4、被告人地福馨の検察官に対する昭和二十九年十一月三日附供述調書(同被告人の関係については除く)

5、被告人大渡義夫の検察官に対する昭和二十九年十月二十七日附供述調書(右同)

6、被告人幸田宏の検察官に対する昭和二十九年十月二十五日附供述調書(右同)

7、被告人地福尚哉の検察官に対する昭和二十九年十一月三日附供述調書(右同)

8、小城直哉の検察官に対する昭和二十九年十月四日附供述調書

9、権藤泰生の検察官に対する供述調書

10、橋口甚太夫の検察官に対する供述調書

11、大井トミ子の検察官に対する供述調書

12、松井葉留子の検察官に対する昭和二十九年九月十七日附、同年十月二十二日附及び同月二十三日附各供述調書(被告人地福馨、同大井の各関係については除く)

13、木佐貫笑子の検察官に対する昭和二十九年十月十四日附、同月二十三日各供述調書(右同)

14、岩山ムメの検察官に対する昭和二十九年十月二十一日附供述調書(右同)

15、地福光子の検察官に対する昭和二十九年十月十九日附供述調書(右同)

16、若松信子の検察官に対する昭和二十九年九月十六日附、同年十月十三日附、同月二十三日附各供述調書(右同)

17、領置してある給与計算書(証第三七号)

18、同耕地課管外旅行伺簿(証第三八号)

19、同耕地課事務分担表(証第三九号)

20、同鹿屋中山地区工事記録(証第四〇号)

21、同大野原開拓道路工事記録(証第四一号)

22、同第二船木地区工事記録(証第四二号)

23、同重富村平松地区工事記録(証第四三号)

24、同鹿屋笹原地区工事記録(証第四四号)

25、同川内市寺山地区工事記録(証第四五号)

26、同出水上場地区工事記録(証第四六号)

27、同末吉町高松谷地区工事記録(証第四七号)

28、同栗野町一軒家拡張地区工事記録(証第四八号)

29、同鹿屋中山谷地区工事記録(証第四九号)

30、同出水郡五万石地区工事記録(証第五〇号)

31、同加治木重久地区工事記録(証第五一号)

32、同樋脇町中之原地区工事記録(証第五二号)

33、同川辺町松崎地区工事記録(証第五三号)

34、昭和二十九年管外旅行伺簿抄本(証第七八号)

罪となるべき第一の三の(三)の点について。

1、被告人隈部正人の当公廷における供述中判示事実に照応する部分

2、被告人隈部正人の検察官に対する供述調書(四通)

3、四元幸男の検察官に対する昭和二十九年十月二十一日附、同年十一月一日附各供述調書

4、草野透の検察官に対する昭和二十九年十一月二日附及び同月四日附各供述調書

5、被告人松元道生の検察官に対する昭和二十九年十月二十九日附、同年十一月八日附各供述調書(十月二十九日附調書は被告人地福馨の関係については除く)

6、被告人地福馨の検察官に対する昭和二十九年十一月二日附、同月二十日附各供述調書(被告人地福馨の関係については除く)

7、被告人大渡義夫の検察官に対する昭和二十九年十月二十六日附、同年十一月五日附、同月八日附各供述調書(右同)

8、被告人幸田宏の検察官に対する昭和二十九年十一月八日附供述調書(右同)

9、被告人地福尚哉の検察官に対する昭和二十九年十一月八日附供述調書(右同)

10、横瀬大八の検察官に対する昭和二十九年十一月一日附、同月五日附各供述調書(右同)

11、伊集院万里子の検察官に対する昭和二十九年九月二十二日附、同年十一月一日附各供述調書(右同)

12、松井葉留子の検察官に対する昭和二十九年十月二十八日附供述調書(右同)

13、田中武熊の検察官に対する昭和二十九年十月十二日附、同年十一月一日附及び同月六日附各供述調書(十一月一日附調書は被告人地福馨の関係については除く)

14、川辺市次郎、三明三郎、東条三郎、上床義隆、松元豊彦の検察官に対する各供述調書

15、領置してある各課事務分担表綴(証第二九号)

16、同串木野、枕崎復興都市計画工事関係綴(証第三〇号)

17、同谷山街路工事記録(証第三一号)

18、同宮之城都市災害復旧工事関係記録(証第三二号)

19、同谷山都市災害復旧工事関係記録(証第三三号)

20、同財部都市災害復旧工事関係綴(証第三四号)

21、同天洋建設株式会社指名願(証第三五号)

22、同白水館の領収書(証第三六号)

罪となるべき事実の第一の三の(四)の点について

1、被告人草野透の当公廷における供述中判示事実に照応する部分

2、被告人草野透の検察官に対する供述調書(六通)

3、四元幸男の検察官に対する昭和二十九年十月二十九日附供述調書(被告人地福馨の関係については除く)

4、隈部正人の検察官に対する昭和二十九年十月三十日附、同年十一月五日附、同月八日附、同月十三日附各供述調書

5、被告人松元道生の検察官に対する昭和二十九年十月二十二日附、同月二十六日附、同月二十九日附各供述調書(十月二十二日附調書以外は被告人地福馨の関係については除く)

6、被告人大渡義夫の検察官に対する昭和二十九年十月二十六日附、同年十一月五日附各供述調書(被告人地福馨の関係については除く)

7、被告人幸田宏の検察官に対する昭和二十九年十一月八日附供述調書(右同)

8、船川二見の検察官に対する昭和二十九年十一月四日附供述調書(右同)

9、伊集院万里子の検察官に対する昭和二十九年十月二十七日附、同年十一月一日附各供述調書(右同)

10、松井葉留子の検察官に対する昭和二十九年九月二十五日附、同年十月二十三日附、同月二十八日附各供述調書(右同)

11、横瀬大八の検察官に対する昭和二十九年十月二十七日附供述調書(右同)

12、松元豊彦、水間兼夫、田中武熊(昭和二十九年十月十二日附、同月二十八日附、同年十一月六日附)、の検察官に対する各供述調書(田中武熊の十一月一日附調書は被告人地福馨の関係については除く)

13、領置してある各課事務分担表綴(証第二九号)

14、同串木野、枕崎復興都市計画工事関係綴(証第三〇号)

15、同谷山街路工事記録(証第三一号)

16、同宮之城都市災害復旧工事関係記録(証第三二号)

17、同谷山都市災害復旧工事関係記録(証第三三号)

18、同財部都市災害復旧工事関係 (証第三四号)

19、同天洋建設株式会社指名願(証第三五号)

罪となるべき事実の第一の三の(五)の点について。

1、被告人熊原徹の当公廷における供述判示事実に照応する部分

2、被告人熊原徹の検察官に対する供述調書(四通)

3、被告人大渡義夫の検察官に対する昭和二十九年十月二十八日附供述調書(被告人地福馨の関係については除く)

4、被告人松元道生の検察官に対する昭和二十九年十月二十五日附供述調書(右同)

5、被告人幸田宏の検察官に対する昭和二十九年九月十九日附、同年十月七日附、同月二十六日附、同月二十八日附各供述調書(右同)

6、伊集院万里子の検察官に対する昭和二十九年十月十八日附供述調書(被告人地福馨の関係については除く)

7、岩下政雄、平井信男の検察官に対する各供述調書

8、領置してある重富村平松地区工事記録(証第四三号)

9、同重富地区工事施行伺(証第五四号)

10、同重富地区工事請負関係書(証第五五号)

11、同出張伺綴(証第五六号)

12、同出勤簿(証第五七号)

13、同名刺(幸田宏)(証第五八号)

14、同名刺(大渡義夫)(証第五九号)

罪となるべき事実の第一の三の(六)の点について。

1、被告人兼元清隆の当公廷における供述中判示事実に照応する部分

2、被告人兼元清隆の検察官に対する供述調書(六通)

3、被告人松元道生の検察官に対する昭和二十九年十月七日附、同月八日附、同月十日附、同月十九日附各供述調書(被告人地福馨、同兼元の関係については除く)

4、被告人大渡義夫の検察官に対する昭和二十九年十月八日附、同月十四日附各供述調書(右同)

5、被告人幸田宏の検察官に対する昭和二十九年十月六日附及び同月十日附各供述調書(右同)

6、証人村山政義、同久木田正平の当公廷における各供述

7、村山政義の検察官に対する供述調書(七通)

8、久木田正平の検察官に対する供述調書(二通)(被告人兼元の関係については除く)

9、岩山ムメの検察官に対する昭和二十九年十月七日附及び同月十九日附各供述調書(十月七日附調書は被告人地福馨、同兼元の、同月十九日附調書は同兼元の各関係については除く)

10、松井葉留子の検察官に対する昭和二十九年十月四日附、同月九日附及び同月十四日附各供述調書(被告人地福馨、同兼元の関係については除く)

11、地福光子の検察官に対する昭和二十九年十月九日附及び同月十六日附各供述調書(右同)

12、高橋利男、水野健次、小野勇雄、東田美登及び渕脇巌の検察官に対する各供述調書

13、領置してある馬渡橋架替工事記録(証第七二号)

14、同萩塚町簡易水道新設工事記録(証第七三号)

15、同鹿屋市例規集(証第七四号)

16、同建設課建築係員履歴書綴(証第七五号)

罪となるべき事実の第一の三の(七)の点について。

1、被告人曽木隆輝の当公廷における供述中判示事実に照応する部分

2、被告人松元道生の検察官に対する昭和二十九年十月四日附、同月六日附、同月十三日附(二通)、同月十六日附、同月二十六日附、同月二十九日附各供述調書(十月六日附以外は被告人地福馨については除く)

3、被告人地福馨の検察官に対する昭和二十九年十月七日附、同月十二日附、同月二十八日附各供述調書

4、被告人大渡義夫の検察官に対する昭和二十九年十月六日附、同月七日附、同月二十八日附各供述調書(被告人地福馨の関係については除く)

5、被告人幸田宏の検察官に対する昭和二十九年十月十四日附、同月二十六日附各供述調書

6、被告人曽木隆輝作成の上申書

7、被告人曽木隆輝の検察官に対する供述調書(十通)

8、船川二見の検察官に対する昭和二十九年九月二十五日附、同年十一月五日附、同年十月十五日附各供述調書(被告人地福馨の関係については除く)

9、地福光子の検察官に対する昭和二十九年十月十九日附供述調書(右同)

10、伊集院満里子の検察官に対する昭和二十九年九月二十八日附、同年十月五日附、同月十三日附、同月十八日附各供述調書(右同)

11、松井葉留子の検察官に対する昭和二十九年十月九日附、同月三十日附各供述調書(右同)

12、若松信子の検察官に対する昭和二十九年十日十九日附供述調書(右同)

13、岩山ムメの検察官に対する昭和二十九年九月三十日附、同年十月二十一日附各供述調書(右同)

14、赤尾登、田中吉彦、増田繁(二通)、日高金吾、隈部正人、恒吉晃(三通)、時任泰(三通)、竹迫信雄、上唐湊金次郎、谷川弘子、萩原愛子(二通)、大西栄蔵、小牧次生、田中茂穂、秋丸光良の検察官に対する各供述調書

15、領置してある指名願書(証第六〇号)

16、同名刺(赤路友蔵)(証第六一号)

17、同宿泊名簿(証第六二、六三号)

18、同指名願書(南友工業の分)(証第六四号)

罪となるべき事実の第一の三の(八)の点について。

1、被告人四元幸男の当公廷における供述中判示事実に照応する部分

2、被告人四元幸男の検察官に対する供述調書(五通)

3、隈部正人の検察官に対する昭和二十九年十月三十日附、同年十一月八日附各供述調書

4、被告人松元道生の検察官に対する昭和二十九年十月六日附、同月八日附、同月十一日附、同月十二日附、同月二十八日附、同月二十九日附、同年十一月一日附各供述調書(十月六日附、十一月一日附調書以外は被告人地福馨の関係については除く)

5、被告人地福馨の検察官に対する昭和二十九年十月八日附供述調書(同被告人の関係については除く)

6、被告人大渡義夫の昭和二十九年十月八日附、同月九日附、同年十一月一日附、同月八日附各供述調書(被告人地福馨の関係については除く)

7、被告人幸田宏の検察官に対する昭和二十九年十月七日附、同月九日附、同月二十八日附各供述調書(右同)

8、被告人地福尚哉の検察官に対する昭和二十九年十月十六日附供述調書(右同)

9、船川二見の検察官に対する昭和二十九年十月十四日附、同月十五日附、同年十一月五日附各供述調書(右同)

10、伊集院満里子の検察官に対する昭和二十九年十一月一日附供述調書(右同)

11、田中武熊、水間兼夫、松元豊彦の検察官に対する各供述調書

12、領置してある各課事務分担表綴(証第二九号)

罪となるべき事実の第一の四の点について。

1、被告人大渡義夫の当公廷における供述中判示事実に照応する部分

2、被告人大渡義夫の検察官に対する昭和二十九年十一月八日附供述調書

3、船川二見の検察官に対する昭和二十九年十一月四日附供述調書

4、松井葉留子の検察官に対する昭和二十九年九月二十五日附供述調書

罪となるべき事実の第一の五の点について。

1、被告人地福馨、同松元道生、同地福尚哉、同幸田宏の当公廷における各供述中判示事実に照応する部分

2、被告人地福馨の検察官又は検察事務官に対する昭和二十九年九月三十日附(騰本)、同年十月四日附、同月五日附、同月七日附及び同月八日附各供述調書

3、被告人松元道生の検察官に対する昭和二十九年九月九日附(騰本)、同年十月四日附及び十月八日附各供述調書

4、被告人地福尚哉の検察官に対する昭和二十九年十月七日附、同八日附供述調書

5、被告人幸田宏の検察官に対する昭和二十九年十月四日附及び同月八日附各供述調書

6、井上修二、川原侃、荒木武雄、中尾浅逸(二通)、馬場信男の検察官に対する各供述調書

7、領置してある登記簿謄本(証第二三号)

8、同株式会社設立登記申請書(証第二四号)

9、同変更登記申請書(証第二四号)

10、同額面金三百万円の約束手形(証第一号)

罪となるべき事実の第一の六の点について。

1、被告人青山敦、同上竹清志、同地福馨の当公廷における各供述中判示事実に照応する部分

2、被告人青山敦の検察官に対する昭和二十九年九月二十九日附供述調書

3、被告人上竹清志の検察官に対する昭和二十九年九月二十九日附供述調書

4、崎元盛明の検察官に対する供述調書

5、前掲第一の五の1ないし4の各証拠

6、領置してある額面金三百万円の約束手形(証第一号)

7、同定款(証第六号)

8、同業務執行規程並びに庶務細則(証第九号)

罪となるべき事実の第二の点について。

1、被告人上妻正行、同中野晴雄の当公廷における供述中判示事実に照応する部分

罪となるべき事実の第二の一の点について。

1、被告人小城直哉の当公廷における供述中判示事実に照応する部分

2、被告人上妻正行の検察官に対する昭和二十九年十一月十五日附(証拠調請求書に十九日附とあるは誤記と認める)供述調書(但し、被告人小城に関しては除く)

3、被告人中野晴雄の検察官に対する昭和二十九年十一月一日附供述調書

4、被告人小城直哉の検察官に対する昭和二十九年十一月九日附、同月二十四日附各供述調書

5、領置してある支払明細メモ(証第一号)

6、同現金出納簿メモ(証第二号)

7、同二十八年九月分伝票綴(証第三号)

8、同預金元帳写(証第六号)

9、同鹿児島県部設置条例抄本(証第九号)

10、同副知事、部長(室長)及び課長専決規程抄本(証第一〇号)

11、耕地課事務分担表(昭和二十八年七月一日現在)(証第一三号)

12、鹿児島県処務細則抄本(証第一一号)

罪となるべき事実の第二の二の点について。

1、被告人南忠の当公廷における供述中判示事実に照応する部分

2、被告人上妻正行の検察官に対する昭和二十九年十一月九日附、同月十五日附、同月二十五日附各供述調書

3、被告人中野晴雄の検察官に対する昭和二十九年十一月一日附、同月十六日附各供述調書

4、被告人南忠の検察官に対する供述調書

5、領置してある顧問料等支払明細と題する書面(証第三五号)

6、同「十二月分収支明細書」と題する書面(証第三六号)

7、前掲第二の一の8、11の各証拠

罪となるべき事実の第二の三の点について。

1、被告人浜畑常吉の当公廷における供述中判示事実に照応する部分

2、被告人上妻正行の検察官に対する昭和二十九年十一月九日及び同月十五日(証拠調請求書に十九日とあるは誤記と認める)附各供述調書

3、被告人中野晴雄の検察官に対する昭和二十九年十一月一日附供述調書

4、被告人浜畑常吉の検察官に対する昭和二十九年十月二十七日附、同年十一月十一日附各供述調書

5、領置してある支払明細メモ(証第三二号)

6、同現金出納簿メモ(証第三三号)

7、加治木耕地出張所事務分掌表謄本(証第一九号)

8、鹿児島県耕地出張所設置規定謄本(証第二〇号)

罪となるべき事実の第二の四の点について。

1、被告人大井兼次の当公廷における供述中判示事実に照応する部分

2、被告人上妻正行の検察官に対する昭和二十九年十一月十五日附、同月二十五日附(後に編綴の分)、同月二十六日附、同月二十七日附(二通)各供述調書

3、被告人中野晴雄の検察官に対する昭和二十九年十一月二十五日附、同月二十七日附各供述調書

4、被告人大井兼次の検察官に対する昭和二十九年十一月二日附(謄本)同月二十四日附、同月二十六日附各供述調書

5、水間兼夫の検察官に対する昭和二十九年十月二十三日附供述調書謄本

6、領置してある「支払明細メモ」(証第三二号)

7、同「現金出納簿メモ」(証第三三号)

8、同耕地課事務分担表(昭和二十九年五月一日現在)謄本(証第一八号)

9、前掲第二の一の8、11の各証拠

三、法令の適用

一、被告人松元道生に対する分。

同被告人の判示所為中、第一の一の(1)ないし(10)の淫行勧誘の点は刑法第百八十二条第六十条罰金等臨時措置法第三条に、第一の二の監禁の点は刑法第二百二十条第一項に、第一の三の(一)ないし(八)(但し、(一)ないし(六)については各(1))の贈賄の点は刑法第百九十八条(第百九十七条第一項前段)第六十条罰金等臨時措置法第三条に、第一の五の公正証書原本不実記載の点は刑法第百五十七条第一項第六十条罰金等臨時措置法第三条に、不実記載公正証書原本行使の点は同法第百五十八条第一項第六十条罰金等臨時措置法第三条に該当するところ、第一の三の(三)の(1)の(イ)と第一の三の(八)の(1)、第一の三の(三)の(1)の(ロ)と第一の三の(四)の(1)の(イ)、第一の三の(三)の(1)の(二)と第一の三の(四)の(1)の(二)の贈賄の点はそれぞれ一個の行為にして数個の罪名に触れる場合であり、公正証書原本不実記載と不実記載公正証書原本行使の点は手段結果の関係があるから刑法第五十四条第一項前段後段第十条により前者の場合は第一の三の(三)の(1)の(イ)の贈賄罪、後者の場合は不実記載公正証書原本行使罪の刑により処断すべく、以上は刑法第四十五条前段の併合罪であるから淫行勧誘、贈賄、不実記載公正証書原本行使の点につき所定刑中懲役刑を選択の上刑法第四十七条本文第十条により最も重い監禁の罪の刑に併合罪の加重をなした刑期範囲内で主文の刑を量定する。

二、被告人松元田鶴枝に対する分。

同被告人の判示第一の一の(1)ないし(10)の各所為は、これに関し被告人松元道生に適用した前記法条を援用し、以上は刑法第四十五条前段の併合罪であるから所定刑中懲役刑を選択の上第四十七条本文第十条により重いと認める第一の一の(3)の罪の刑に併合罪の加重をなした刑期範囲内で主文の刑を量定する。

三、被告人地福馨に対する分。

同被告人の判示所為中、第一の三の(一)ないし(八)(但し、(一)ないし(六)については各(1))、第五の点はこれに関し被告人松元道生に適用した前記法条を援用し、第六の背任の点は刑法第二百四十七条第六十条第六十五条第一項罰金等臨時措置法第三条に該当するところ、第一の三の(三)の(1)の(イ)と第一の三の(八)の(1)、第一の三の(三)の(1)の(ロ)と第一の三の(四)の(1)の(イ)、第一の三の(三)の(1)の(二)と第一の三の(四)の(1)の(二)の贈賄の点はそれぞれ一個の行為にして数個の罪名に触れる場合であり、公正証書原本不実記載と不実記載公正証書原本行使の点は手段結果の関係にあるから刑法第五十四条第一項前段後段第十条により前者の場合は第一の三の(三)の(1)の(イ)の贈賄罪、後者の場合は不実記載公正証書原本行使罪の刑により処断すべく、以上は刑法第四十五条前段の併合罪であるから所定刑中懲役刑を選択の上刑法第四十七条本文第十条により最も重いと認める背任の罪の刑に併合罪の加重をなした刑期範囲内で主文の刑を量定する。

四、被告人大渡義夫に対する分。

同被告人の判示所為中、第一の三の(一)ないし(八)(但し、(一)ないし(六)については各(1))の点は、これに関し被告人松元道生に適用した前記法条を援用し、第一の四の暴行の点は刑法第二百八条罰金等臨時措置法第三条に該当するところ、第一の三の(三)の(1)の(イ)と第一の三の(八)の(1)、第一の三の(三)の(1)の(ロ)と第一の三の(四)の(1)の(イ)、第一の三の(三)の(1)の(二)と第一の三の(四)の(1)の(二)の贈賄の点はそれぞれ一個の行為にして数個の罪名に触れる場合であるので刑法第五十四条第一項前段第十条により第一の三の(三)の(1)の(イ)の贈賄罪の刑により処断すべく、以上は刑法第四十五条前段の併合罪であるから各所定刑中懲役刑を選択の上最も重いと認める第一の三の(一)の贈賄の罪の刑に併合罪の加重をなした刑期範囲内で主文の刑を量定する。

五、被告人地福尚哉に対する分。

同被告人の判示所為中、第三の(一)ないし(五)(但し各(1))、(七)、(八)、第五の点は、これに関し被告人松元道生に適用した前記法条を援用し、なお第一の三の(三)の(1)の(イ)と第一の三の(八)の(1)、第一の三の(三)の(1)の(ロ)と第一の三の(四)の(1)の(イ)、第一の三の(三)の(1)の(二)と第一の三の(四)の(1)の(二)の贈賄の点はそれぞれ一個の行為にして数個の罪名に触れる場合であり、公正証書原本不実記載と不実記載公正証書原本行使の点は手段結果の関係にあるから刑法第五十四条第一項前段後段第十条により前者の場合は第一の三の(三)の(1)の(イ)の贈賄罪、後者の場合は不実記載公正証書原本行使罪の刑により処断すべく、以上は刑法第四十五条前段の併合罪であるから各所定刑中懲役刑を選択の上刑法第四十七条本文第十条により最も重い不実記載公正証書原本行使罪の刑に併合罪の加重をなした刑期範囲内で主文の刑を量定する。

六、被告人幸田宏に対する分。

同被告人の判示所為中第一の三の(一)ないし(八)(但し(一)ないし(六)については各(1))、第五の点は、これに関し被告人松元道生に適用した前記法条を援用し、なお第一の三の(三)の(1)の(イ)と第一の三の(八)の(1)、第一の三の(三)の(1)の(ロ)と第一の三の(四)の(1)の(イ)、第一の三の(三)の(1)の(二)と第一の三の(四)の(1)の(二)の贈賄の点はそれぞれ一個の行為にして数個の罪名に触れる場合であり、公正証書原本不実記載と不実公正証書原本行使の点は手段結果の関係にあるから刑法第五十四条第一項前段後段第十条により前者の場合は第一の三の(三)の(1)の(イ)の贈賄罪、後者の場合は不実記載公正証書原本行使罪の刑により処断すべく、以上は刑法第四十五条前段の併合罪であるから各所定刑中懲役刑を選択の上刑法第四十七条本文第十条により最も重い不実記載公正証書原本行使罪の刑に併合罪の加重をなした刑期範囲内で主文の刑を量定する。

七、被告人横山肇、同草野透、同隈部正人、同大井兼次、同熊原徹、同兼元清隆に対する分。

被告人横山の判示第一の三の(一)の(2)、同草野の第一の三の(四)の(2)、同隈部の第一の三の(三)の(2)、同大井の第一の三の(二)の(2)、第二の四の(二)、同熊原の第一の三の(五)の(2)、同兼元の第一の三の(六)の(2)の各収賄の所為は、刑法第百九十七条第一項前段に該当するところ、以上は刑法第四十五条前段の併合罪であるから、同法第四十七条本文第十条により最も重いと認める被告人横山の前記第一の三の(一)の(2)の別紙一覧表(一)の3、同草野の第一の三の(四)の(2)((1)の(ロ)に照応する部分)、同隈部の第一の三の(三)の(2)((1)の(二)に照応する部分)、同大井の第一の三の(二)の(2)の別紙一覧表(二)の2、同熊原の第一の三の(五)の(2)、((1)の(ロ)に照応する部分)、同兼元の第一の三の(六)の(2)((1)の(ロ)に照応する部分)の各罪の刑に併合罪の加重をなし、その刑期範囲内で右被告人等に主文の刑を量定する。

八、被告人青山敦、同上竹清志に対する分。

右被告人両名の判示第一の六の背任の所為は刑法第二百四十七条第六十条罰金等臨時措置法第三条に該当するところ、情状により所定刑中被告人青山に対しては懲役刑、同上竹に対しては罰金刑を選択の上、所定刑期、所定罰金額の範囲内で、それぞれ主文のとおり量定する。

九、被告人上妻正行に対する分。

同被告人の判示第二の一ないし四の各(一)の所為は、刑法第百九十八条(第二の二、三の各(一)の所為については更に第六十条)罰金等臨時措置法第三条に該当するところ以上は刑法第四十五条前段の併合罪であるから所定刑中懲役刑を選択の上同法第四十七条本文第十条により最も重いと認める第二の一の(一)の罪の刑に法定の加重をなした刑期範囲内で主文の刑を量定する。

十、被告人中野晴雄に対する分。

同被告人の判示第二の二、三の各(一)の所為は、これに関し被告人上妻正行に適用した法条を援用し、なお以上は刑法第四十五条前段の併合罪であるから、情状により所定刑中罰金刑を選択の上刑法第四十八条第二項により所定罰金額の合算額の範囲内で主文の罰金を量定する。

十一、被告人小城直哉、同南忠、同浜畑常吉に対する分。

被告人小城の判示第二の一の(二)、同南の第二の二の(二)、同浜畑の第二の三の(二)の各収賄の所為は、刑法第百九十七条第一項前段に該当するので、所定刑期範囲内で右被告人等に対しそれぞれ主文の刑を量定する。

四、刑の執行猶予

被告人大渡義夫、同地福尚哉、同幸田宏、同上妻正行、同横山肇、同大井兼次、同松元田鶴枝、同草野透、同隈部正人、同熊原徹、同兼元清隆、同青山敦、同小城直哉、同南忠、同浜畑常吉に対しては、刑法第二十五条第一項によりそれぞれ主文掲記の期間当該懲役刑の執行を猶予することとする(被告人松元田鶴枝は昭和二十九年十月三十日鹿児島家庭裁判所で児童福祉法違反及び淫行勧誘罪により懲役五月但し、三年間右刑の執行を猶予する旨の言渡を受けているが、本件は右執行猶予の言渡前における犯罪でいわゆる余罪の関係にあるから前記法条により再度刑の執行を猶予するものとする)。

五、量刑の理由

本件は判示認定のとおり、いわゆる「まつもと」事件と「上妻建設」事件とが、被告人大井兼次を共通にしたため、併合の上審理したものである。そして、「まつもと」事件は、判示被告人等が天洋建設株式会社を設立しようとしてその設立手続を仮装したために生じた判示背任、公正証書原本不実記載同行使の点と、淫行の常習のない婦女を勧誘して姦淫させた淫行勧誘の点(これに附随する監禁の点を含む)と、これとは別個に右会社の女事務員を賄賂の具に供した贈賄の点(これに附随する暴行の点を含む)とに大別される。しかして、右淫行勧誘の点は被告人松元道生、同田鶴枝夫婦に関するもので、その対象となつたのは女子高校生を含む年少の婦女であつたこと、右贈賄の点は被告人松元道生、同地福馨、同大渡義夫、同幸田宏、同地福尚哉(上記尚哉については一部を除く)の前記会社幹部に関するもので、その対象となつたのはいずれも会社の女事務員として採用した婦女であつたこと、それぞれ判示認定のとおりである。従つて右の淫行勧誘と贈賄の点は、被告人松元道生を共通にしているのみで、対象となつた婦女の範疇も異なり、両者は事案としては全く別個のものである。量刑の理由については、その詳細は本件記録に譲るが、一応特異と思われる点と、これに対する当裁判所の見解を簡単に述べておくこととする。すなわち、いわゆる「まつもと」事件の贈賄のうち、前記会社の女事務員を賄賂の具に供した点についてであるが、これは判示のとおり被告人松元道生が案出し、他の会社幹部もこれを了承して、ともに実施するに至つたもので、その方法も頗る巧妙で、一見職務に関しないかのような口実を設けて招待の上、酒食を供し、しかる後酔余女事務員と情交させたものであり、また右の女事務員も、会社幹部から金銭的な誘惑とせん動を受けたことと、当時前記会社を蔽うに至つた淫靡な空気に染まつたこととによつて、無自覚に会社の方針に協力し幹部の指示に従い収賄者等を安堵させつつ前記情交関係を反覆したものと認められる。従つて収賄者等としては公務員としてもとより不用意の点のあつたことはいうまでもないが、反面巧みに仕掛けられた「わな」に陥つたかのごとき観がある。しかも、贈賄者側にとつては、会社の女事務員を関係官公庁の担当者に提供することは、会社経理上安価につくのみならず、当該女事務員を書類提出の事務に使用する等人情の機微をとらえた方法もとることができた。しかして、贈賄者側は、本件女事務員の採用にあたつて、判示のとおり、かつて異性と交渉のあつたこと、招待客の接待のため帰宅時間が遅くなること、本給の外に渉外手当を支給すること等前記営業方針を或程度示し、彼女等の了解を得ていたとはいえ、もとよりその根底に救いがたい女性蔑視の観念が認められ個人尊重の精神と相去ること甚しい人格無視の手段をとつたもので、あまつさえ一部会社幹部中には本件女事務員と情交関係を重ねていた者すらあつた程である。以上のような諸点からみても、収賄者側にくらべて贈賄者側を重く処断してしかるべき事情の一端が窮われる。しかして、更に、個人別にみると、被告人松元道生は本件贈賄手段の発案者で、かつその実施の主宰者であり、また被告人地福馨は県会議員として県下市町村長および県庁職員等と面識、交際関係があるのを利用し、主要な収賄者の誘引招待の役割を果したもので、この両名が中心人物と目される。右両名以外の被告人等は右両名の意を受け、その指示に従つて追従したもので、右両名がいなければもとより本件は起らなかつたものと認められる程である。従つて、その他諸般の情状にかんがみ被告人松元道生の罪責最も重く、被告人地福馨のそれは殆んどこれと同程度とみるのが相当である。右両名以外の被告人等は、前記のとおり右両名の指示に従つていたものであり、なお被告人大渡については判示暴行の点もあるがこの点はさして特別悪質とも認められない。

次に、被告人松元道生、同松元田鶴枝の淫行勧誘の点については、判示のとおり女子高校生を含む年少の子女を友人関係等を利用し順次勧誘して姦淫させ、自己の営利を計つたもので、その着想、方法、結果よりみて罪責はまことに重大であるが、被告人松元道生は、その発案者であるが、同田鶴枝は妻として夫の方針に従つたもので、その他諸般の情状よりして罪責としては右道生の方をより重しとしなければならない。

なお、公正証書原本不実記載同行使の点についても被告人松元道生が主導的な立場にあつたのに比しその他の被告人はこれに追従していたものと認められる、背任の点についても被告人松元道生の要望により被告人地福馨が前記連合会理事という地位を利用して被告人上竹、同青山に強引に働きかけたため、被告人青山、同上竹がついに屈した点が認められるほか、結局同連合会には弁済を受けたため欠損を生ずるに至らなかつた点も考慮されるべきである。

収賄者側については、前記のとおり巧妙に誘引されて判示各収賄の罪を犯すに至つたもので、中には犯罪の個数の多いものもあるが、女事務員と一度情交関係を結んだ弱点と当該女事務員に未練を残したためその後の勧誘を断る決断を失つた結果であると認められ、いささかその人間的な弱さの一面に乗じられた点において酌むべきものもあり、またいずれも酒食の価額も実質的には比較的大きくないと認められる。

いわゆる「上妻建設」事件については、「まつもと」事件に比し特異な点は認められない。

なお、全被告人を通じていずれもその意味と程度の差こそあれ改悛の情は認められる。

以上のような次第であるから、判示各犯罪事実の動機、態様、結果、個数、規模、犯行における役割、境遇、犯行後における被告人等の情状等を仔細に検討、考量の上、各被告人等に対し主文のとおり量刑処断した。

六、労役場留置を言い渡した理由

被告人上竹清志、同中野晴雄に対しては、当該罰金を完納することができないときは刑法第十八条により主文掲記の期間それぞれ労役場に留置することとする。

七、追徴をなした理由

被告人横山馨、同草野透、同隈部正人、同大井兼次、同熊原徹、同兼元清隆、同小城直哉、同南忠、同浜畑常吉に対しては、各被告人の判示各収賄行為により収受した賄賂は没収することができない状態にあるから刑法第百九十七条ノ四後段により主文掲記のとおり各被告人から当該賄賂相当額を追徴することとする(なお、本件収賄行為の中、婦女との情交のある場合においても、右賄賂の価額は算定すべきものではないので、情交の点についてはその価額を追徴しない)。

八、訴訟費用の負担を命じた理由

本件訴訟費用については刑事訴訟法第百八十一条第一項により主文掲記のとおり当該被告人に負担を命ずることとする。

九、弁護人の主張に対する判断

(被告人中野晴雄の弁護人の期待可能性のない旨の主張に対する判断)

被告人中野晴雄の弁護人は、被告人中野は当時上妻建設株式会社の常務取締役であつたが、社長である相被告人上妻正行の独裁的な命令の侭に行動していたものであつて、本件犯行当時被告人中野に対して被告人上妻の命令に反して他に適法な行為をとることを期待するのは無理である趣旨の主張をする。しかしながら当公廷にあらわれた証拠に照らしても、被告人中野が本件犯行当時他に適法な行為をとることができなかつたとは認められないので、右主張は採用しない。

一〇、公訴事実中無罪の点の理由

1、主文において無罪を言い渡した点の理由

第一、被告人松元道生、同地福馨、同大渡義夫、同地福尚哉、同幸田広に関する分

一、昭和二十九年十一月十三日附起訴状(同年(わ)第四七八号)記載の公訴事実中、第一の(2)、(4)の点(隈部関係)。

二、同月八日附起訴状(同年(わ)第四六一号)記載の公訴事実中、第一の(三)の点(草野関係)。

三、同月一日附起訴状(同年(わ)第四五三号)記載の公訴事実中、第一の3、4、第三の中第一の3に照応する点(四元関係)。

四、同月四日附起訴状(同年(わ)第四五八号)記載の公訴事実中、第一の二、三、四、第三の中同上に照応する点(大井関係)。五、同年十月八日附起訴状(同年(わ)第四〇七号)記載の公訴事実中、第一の別表六、第三の中同上に照応する点(横山関係)。

六、同月一日附起訴状(同年(わ)第四五四号)記載の公訴事実中、第一の二の八の点(曽木関係)。

七、同月十一日附起訴状(同年(わ)第四七三号)記載の公訴事実中、第一の点(曽木関係)。

第二、被告人隈部正人に関する分(昭和二十九年十一月十三日附起訴状(同年(わ)第四七八号)記載の公訴事実中、第二の中第一の(1)ないし(4)に照応する点)

第三、被告人大井兼次に関する分(昭和二十九年十一月四日附起訴状(同年(わ)第四五八号)記載の公訴事実中、第二の中第一の二、三、四に照応する点)

第四、被告人横山肇に関する分(昭和二十九年十月八日附起訴状(同年(わ)第四〇七号)記載の公訴事実中第二の中第一の別表六に照応する点)

第五、被告人草野透に関する分(昭和二十九年十一月八日附起訴状(同年(ゆ)第四六一号)記載の公訴事実中第二の中第一の(三)、(四)に照応する点)

第六、被告人上妻正行、同浜畑常吉に関する分(昭和二十九年十一月二十九日附起訴状(同年(わ)第五一二号)記載の公訴事実中、第一の(三)第三の点)

第七、被告人曽木隆輝に関する分(昭和二十九年十一月一日附起訴状(同年(わ)第四五四号)、同月十一日附起訴状(同年(わ)第四七三号)記載の公訴事実)

第八、被告人四元幸男に関する分(昭和二十九年十一月一日附起訴状(同年(わ)第四五三号)記載の公訴事実)

第一、被告人松元道生、同地福馨、同大渡義夫、同地福尚哉、同幸田宏に関する分

一、(隈部関係)昭和二十九年十一月十三日附起訴状(同年(わ)第四七八号)記載の公訴事実中第一の(2)、(4)の点。

(1) 第一の(2)の点。右公訴事実の要旨は、昭和二十八年六月十九日旅館「まつもと」で被告人隈部に対し同被告人の職務に関し酒食等を御馳走して贈賄したというにある。ところで、被告人隈部の昭和二十九年十一月十三日附供述調書には、同被告人は右同日同旅館に行つた記憶はない旨の供述があり、公訴事実によれば同行したことになつている相被告人四元の当公廷における供述も右に照応する。而して、町田万里子および松元道生の検察官に対する供述調書には被告人隈部が右同日同旅館を来訪した旨の供述記載があるが、右はいずれも工事出面表(証第一六号)を根拠としており、該工事出面表には、右同日町田万里子、船川二見の欄に情交を表わす二重丸の記載はあるが、その記載も証人松井葉留子の当公廷における供述によれば必ずしも正確であるといえないし、しかも記載自体はその相手を特定しておらず、他に運転日報(証第五号)、請求書綴(証第四号)等この余の証拠を検討しても右被告人両名が右同日右旅館に行つたことを確定するに足りる証拠が不十分である。従つて被告人隈部が右同日右旅館に行つたこと自体を確定しえないので、その余の点は判断するまでもなく右公訴事実は結局犯罪の証明が不十分であるということに帰する。

(2) 第一の(4)の点。右公訴事実の要旨は、昭和二十九年八月二十四日旅館「まつもと」で被告人隈部に対し同被告人の職務に関し酒食等の御馳走をして贈賄した、というにある。ところで、被告人隈部は、右同日他の宴会の帰りに同旅館に寄つたが、町田万里子に縁談の話をするためであり、酔つていたのでジユースを飲んだ記憶がある旨主張し、同被告人の昭和二十九年十月三十日附、同年十一月十三日附、町田万里子の同年十一月一日附の各供述調書によると、右同日同被告人が宴会帰りにオープンカーで同旅館に寄つたこと、同旅館では料理等は出されず、ただジユース等が出されたこと、町田万里子の縁談話が同被告人と町田との間に交わされた点等、同被告人の右主張に副う事実を認めることができ、これに反する松元道生の検察官に対する供述調書の供述記載部分は信用することができないし、他にこれを覆すに足りる証拠が十分でない。従つて右の如き状況のもとで、同被告人に対してジユース程度の飲料が供されたとしても、これをもつて直ちに同被告人の職務に関して御馳走したとも御馳走になつたとも断定しえないので、右公訴事実は結局犯罪の証明が不十分であるということに帰する。

二、(草野関係)昭和二十九年十一月八日附起訴状(同年(わ)第四六一号)記載の公訴事実中、第一の(三)の点。

右公訴事実の要旨は、昭和二十八年八月十日鹿児島市堀江町七十八番地の「さつま温泉」附近の某旅館で被告人草野に対し同被告人の職務に関し、前記会社女事務員松井葉留子と情交させてもつて贈賄したというにある。ところで被告人草野の昭和二十九年十一月二日附、同年十月二十二日附、横瀬大八の同月二十七日附各供述調書によると、右同日被告人草野と横瀬が宴会帰りに旅館「まつもと」に寄る際車中で横瀬が同旅館では工合が悪いから他の旅館へ行こうといつたので、被告人草野も同意し、結局松井葉留子他一名の婦女を同伴して塩屋町附近の海岸に近い某旅館に行つたこと同被告人は同旅館で同女と情交したこと同旅館の料金等は横瀬において支払つていること、被告人草野も同女に対し若干の金員を与えていることが認められる。松元道生の検察官に対する供述調書中右認定に反する供述記載部分は信用することができない。従つて右のような事情にかんがみると、同被告人が自己の職務に関し同女と情交する意思ないし認識のもとに同女を同旅館に誘い出し情交関係を結んだと断定することもできないし、また被告人松元等の贈賄者側が被告人草野の職務に関して右松井に命じて同被告人と情交させたと断定するに足る証拠もないので、右公訴事実については結局犯罪の証明が十分でないことに帰する。

三、(四元関係)昭和二十九年十一月一日附起訴状(同年(わ)第四五三号)記載の公訴事実中、第一の3、4、第三の中第一の3に照応する点。

(1) 第一の3第三の中第一の3に照応する点。右公訴事実の要旨は、昭和二十八年六月十九日旅館「まつもと」で被告人四元に対し、同被告人の職務に関し、御馳走をし、かつ淫行の常習のない前記会社女事務員船川二見を勧誘して同被告人と情交させ、もつて贈賄及び淫行勧誘をなしたものである、というにあるが、前記一の(1)記載のとおり被告人四元が右同日同旅館に行つたこと自体を確定しえないので、その余の点は判断するまでもなく、右公訴事実は結局犯罪の証明が不十分であるということに帰する。

(2) 第一の4の点。右公訴事実の要旨は、被告人四元は鹿児島県土木吏員で昭和二十六年七月十四日から同二十八年六月三十日まで、同県土木部計画課課長補佐として都市災害復旧事業、戦災復興事業、街路事業の各工事の入札者の指名、入札執行工事の検査、及び上水道工事の指導監査等に関する事務を担当し、同年七月一日同部建築課課長補佐に転じ、建築の指導、委託建築設計監督調査、諸建築ならびにこれに伴う水道工事の入札者指名、入札の執行、工事の監督等に関する事務を担当していたが、昭和二十八年七月二十四日旅館「まつもと」で被告人四元に対し、同人が計画課長補佐在勤中前記職務に関し便宜な取扱いをえたことの謝礼並びに建築課長補佐として同課所管工事に伴う水道工事指名入札者の推せんおよび入札等同人の職務に関し便宜取計いをして貰いたいとの趣旨で、御馳走をし、もつて贈賄したものである、というにある。ところで、被告人隈部の昭和二十九年十月三十日附、同年十一月五日附、被告人四元の同年十月二十一日附、同月二十九日附、被告人草野の同月二十二日附、同年十一月二日附、被告人松元の同月一日附各供述調書を綜合すると、右同日旅館「まつもと」で開かれた宴会は被告人四元、同草野の歓送迎会ということであつたこと、被告人隈部は同四元に対して歓送迎の意味で一杯やろうといつたこと、被告人松元の方から電話で連絡があつたことが認められる。而して、被告人松元の同年十一月一日附調書には、四元を呼んだ趣旨は、歓送迎会の意味からいつても呼ばないのはおかしいし、又四元から草野にうまく会社のことを取りなして貰いたいといつたような趣旨でした、という記載があり、また同被告人の同年十月六日附調書には、右同日の招待が被告人四元に対する最後のもので、同被告人が建築課に変つてからは会社とは直接関係がなくなり、招待しても得るところがなくなつたので招待をやめたという趣旨の記載がある。してみれば贈賄者側においても、被告人四元に対しては、同被告人が建築課に変つたので会社にとつて利用価値はないが、歓送迎会の名目上招待したのであつて、同被告人の職務に関して将来便宜な取扱いをして貰いたいという趣旨で御馳走したと断定しえない。

また、従来の職務行為に対する謝礼の意で御馳走した旨訴因が訂正され、公判廷において被告人松元道生はその旨供述しているが、松元の右公判廷の供述は真実と認められる同人の従前の供述と対比してたやすく信用し難く、他に右事実を認定するに足る証拠がない。従つて右公訴事実は結局犯罪の証明がないことに帰する。

四、(大井関係)昭和二十九年十一月四日附起訴状(同年(わ)第四五八号)記載の公訴事実中、第一の二、三、四第三の中同上に照応する点。

右公訴事実の要旨は、昭和二十八年五月十七日、同月二十二日、同月三十日旅館「まつもと」で被告人大井に対し、同被告人の職務に関し、酒食の御馳走をし、かつ淫行の常習のない前記会社女事務員若松信子を勧誘して同被告人と情交させ、もつてそれぞれ贈賄および淫行勧誘をなしたものである、というにある。しかして、若松信子の検察官に対する供述調書中には右に符合するような供述記載部分があるが、右供述の根拠は工事出面表(証第一六号)の記載に基くものであるところ、証人松井葉留子、同若松信子の当公廷における各供述、若松信子の昭和二十九年九月十六日附、同年十月十三日附、同月二十三日附各供述調書を綜合すると、若松信子は昭和二十八年五月中は当時天洋建設の会長であつた地福馨と情交関係があつたこと、および情交関係を表わす工事出面表の二重丸の記載が若松の欄の右の各日にあること、但し、同女が地福馨と情交関係のあつた際にも右記載が少くとも一回以上はなされていることが認められる。従つて右若松の欄の同年五月中の二重丸の記載はその相手が地福馨であつた場合が一回以上あることは認められるので、右記載をもつて被告人大井が右同日同旅館へ行つたと断定することはできない。しかして、他に右の各日に被告人大井が同旅館に行つたこと自体を認めるに足りる十分な証拠がないので、その余の点は判断するまでもなく、右各公訴事実は結局全部犯罪の証明が十分でないことに帰する。

五、(横山関係)昭和二十九年十月八日附起訴状(同年(わ)第四〇七号)記載の公訴事実中、第一の別表六、第三の中同上に照応する点。

右公訴事実の要旨は、昭和二十八年六月十五日旅館「まつもと」で被告人横山に対し、同被告人の職務に関し、御馳走をし、かつ淫行の常習のない前記会社女事務員松井葉留子を勧誘して同被告人と情交させ、もつて贈賄および淫行勧誘をなしたものである、というにある。しかして、松井葉留子、松元道生および地福尚哉の検察官に対する供述調書には、右同日被告人横山が同旅館に来た旨の供述記載があるが、右はいずれも工事出面表(証第一六号)の記載を根拠としているところ、右工事出面表には、右同日松井葉留子の欄に情交を表わす二重丸の記載がある。しかし、同被告人は、当公廷における供述、および昭和二十九年十月七日附供述調書において、右同日同旅館に行つた記憶はないと主張する。而して前記出面表の記載にはその情交の相手を特定していないし、他に同被告人が同日同旅館に行つたことを確定するに足りる証拠が不十分である。従つて同被告人が右同日同旅館に行つたこと自体を確定するをえないので、爾余の点は判断するまでもなく右各公訴事実は結局犯罪の証明が不十分であることに帰する。

六、昭和二十九年十一月一日附起訴状(同年(わ)第四五四号)記載の公訴事実中、第一の二の八の点(曽木関係)。

右公訴事実の要旨は、昭和二十八年九月一日被告人曽木に対し、同被告人の職務に関し、請託のうえ、酒食の御馳走をし、もつて贈賄したものである。というにある。しかして、船川二見、町田万里子、松井葉留子および松元道生の検察官に対する各供述調書には、右同日被告人曽木が同旅館に来訪した旨の供述記載があるが、右はいずれも超過勤務控綴(証第一七号)、自動車運転日報(証第五号)、請求書綴(証第四号)の記載を根拠としているものであるところ、先ず超過勤務控綴の船川二見の欄には当日船川が午後五時より七時三十分まで超過勤務をした旨の記載がある。而して、自動車運転日報、請求書綴によると、当夜午後九時に旅館「まつもと」より林田バスの天文館停留所へ自動車が出ている。しかして前掲各調書には被告人曽木が右船川の接待を受け、右車にて帰つた旨の記載があるが、船川の超過勤務は午後七時三十分までとなつており、車が出たのが午後十時となつているので、その間時刻のずれがあり、特段の理由の窺われない本件においては右船川等の供述記載は信用することができない。而も来客を接待した場合記載することになつている工事出面表(証第一六号)の船川二見の欄には全然来客の接待を意味する記載は存しない。その他当公廷にあらわれた全証拠を綜合しても右同日被告人曽木が旅館「まつもと」に行つたと断定することは困難であると考えられる。よつて、右公訴事実は犯罪の証明が十分でないことに帰する。

七、昭和二十九年十一月十一日附起訴状(同年(わ)第四七三号)記載の公訴事実中、第一の点(曽木関係)。

右公訴事実の要旨は、昭和二十八年六月九日旅館「まつもと」で被告人曽木に対し、同被告人の加治木町長たる職務に関し、請託の上、酒食の御馳走をしかつ前記会社女事務員船川二見と同衾させ、もつて贈賄したものである、というにある。しかして、船川二見、町田万里子、松井葉留子および松元道生の検察官に対する供述調書には右同日被告人曽木が同旅館に来た旨の供述記載があるが、右はいずれも工事出面表(証第一六号)、自動車運転日報(証第四号)および請求書綴(証第四号)の記載を根拠としているものであるところ、先ず工事出面表によると、船川二見の欄に二重丸、町田万里子の欄に一重丸の記載がある。而して、自動車運転日報および請求書綴によれば、当日午後九時二十五分旅館「まつもと」より自治会館に自動車が出ていることは認められる。ところで、工事出面表の二重丸の記載は情交の接待、一重丸は情交以外の接待を意味するものと一応認められる場合があるのであるが、接待を受けたものはそれ等の記載のみによつてはもとより特定されない。しかも、その頃船川二見は県庁の公務員達の接待の席にも出ていた(船川の検察官に対する昭和二十九年十一月五日附供述調書)ことが窺われるので、工事出面表によつては接待を受けた者が被告人曽木であると確定することはできない。また、前記のとおり旅館「まつもと」より自治会館に車の出ている点があるが、町田万里子および松元道生によれば、右は被告人曽木の利用した車であるという(町田の検察官に対する昭和二十九年十月十八日附、松元の同じく同月二十六日附供述調書)。而して、町田は自治会館まで同車して被告人曽木を送つた上、同じ車で帰宅した(町田同上)というが、運転日報、請求書証綴には町田が右車で帰宅した旨を示す記載はない(町田の自宅は自治会館とは方角も異なり距離も離れている鹿児島市中草牟田である)。これに反し、船川によれば自分と町田は午後十時頃車で帰宅したもので、被告人曽木を車で送つたことはないといい(船川の検察官に対する昭和二十九年十一月五日附供述調書)、これを示す旨の運転日報、請求書綴の記載がある(船川の住所は同市中之平である)。従つて、右の旅館「まつもと」より自治会館へ出ている車には船川、町田は同車していなかつたものと認められ、前掲町田の供述調書中右同日被告人曽木を同車して送つた旨の供述記載は信用することができず、従つてその車が被告人曽木の利用したものと認めることはできない。また、右車が自治会館へ行つていることは明らかであるが、自治会館の宿泊名簿(証第六二号、第六三号)には当夜被告人曽木の宿泊した記載がない。従つて、当夜被告人曽木の宿泊した記載がない。従つて、当夜被告人曽木が自治会館に宿泊したかどうかも定かでないので、この点からも当夜右車を利用したのが被告人曽木であると確定することはできない。結局全証拠を綜合してみても、当夜被告人曽木が旅館「まつもと」に行つたと断定するに至らないので、右公訴事実は結局犯罪の証明が十分でないことに帰する。

第二、被告人隈部正人に関する分(昭和二十九年十一月十三日附起訴状(同年(わ)第四七八号)記載の公訴事実中第二の中第一の(1)ないし(4)に照応する点)

(1) 第一の(1)に照応する部分。右公訴事実の要旨は、被告人隈部は、昭和二十八年五月五日旅館「まつもと」で自己の職務に関し、酒食等の御馳走を受け、もつて収賄したものである、というにある。而して、右に副うような松元道生の検察官に対する供述調書の記載は次の理由により信用しがたい。すなわち、同被告人が右同日同旅館に行き、若干の酒食の御馳走を受けたこと自体は同被告人および同行した被告人四元幸男の認めるところであり、なお工事出面表(証第一六号)、町田万里子の昭和二十九年九月二十二日附、同年十一月一日附、地福馨の同年十月八日附、同年十一月七日附、同月十日附、地福尚哉の同月八日附、船川二見の同月十四日附、同月十五日附、各供述調書によりこれを認めることができる。そこで被告人隈部が右同日同旅館に案内されるに至つた事情、宴席での話題について検討するに、同被告人の昭和二十九年十月三十日附、地福馨の同年十一月二日附、同月十日附各供述調書によると、当時県会議員であつた被告人地福馨が被告人隈部に対し谷山町の街路事業について話を聞きたいから一席設けたいという趣旨を伝えて、同旅館に案内したものであること、而して、宴席においても、別段天洋建設に関連する工事の話は出なかつたことが認められる。また松元道生が会社幹部に対し、宴席での仕事の話を厳禁する等贈賄の意図を秘匿する方針であつたことは大渡義夫の検察官に対する昭和二十九年九月十九日附供述調書に照し明らかである。被告人隈部は当公廷において当時別に深く考えずに御馳走になつたと供述し、その他全証拠を綜合しても隈部は地福馨が県議としてではなく、天洋建設の会長として、同建設のため隈部の職務に関して御馳走するものとの情を知り得たと認むるに足りない。従つて右公訴事実については結局犯罪の証明が不十分であるということに帰する。

(2) 第一の(2)に照応する部分。右公訴事実の要旨は、被告人隈部正人は、昭和二十八年六月十九日旅館「まつもと」で自己の職務に関し酒食等の御馳走を受け、もつて収賄したものである、というにある。ところで、前記第一の一の(1)記載のとおり同被告人が右同日同旅館に行つたこと自体を確認するに足りないので、右公訴事実は結局犯罪の証明が不十分であるということに帰する。

(3) 第一の(3)に照応する部分。右公訴事実の要旨は、被告人隈部が昭和二十八年七月二十四日旅館「まつもと」で自己の職務に関し酒食等の御馳走を受け、もつて収賄したものである、というにある。而して右同日同旅館で宴会が開かれるに至つた事情については前記第一の三の(2)記載のとおりであるが、被告人隈部の同上掲記の各供述調書には七月一日附で計画課課長補佐が四元から草野に交代したが、被告人隈部はその歓送迎の意味で一杯やろうと思つているとき、同旅館の方からも暇だから遊びにお出で下さいという電話があつたようだから内心松元社長の経営する旅館だから一人前五、六百円の会費で安く飲めるだろうと考え、他の三名(四元、草野、田中)に連絡して行つた旨の記載がある。そこで右宴会が開かれるに至つた事情(同被告人の側よりすれば一応歓送迎会であると認められる)出席者の顔触れ(課長、課長補佐全員)宴会での話題(会社関係の仕事の話の出ていないこと)から考えると被告人等は自分達の費用で歓送迎会をやるつもりで出かけて開宴したものであることが認められる。もつとも被告人隈部の昭和二十九年十月三十日附調書によれば開宴後は天洋建設関係者即ち松元道生、大渡義夫、幸田宏、地福尚哉がその宴席に出席して共に飲食したことが認められ、隈部は松元道生の意図は或は饗応するのであるかも知れぬと疑つたとも公判廷で供述しているが、それは宴会の中途からのことでもあり、四元においてこの分の代金も含めて支払つていることから考えても天洋建設の饗応を受ける心だつたとは即断し難い、従つて右公訴事実は結局犯罪の証明が不十分であることに帰する。

(4) 第一の(4)に照応する部分。右公訴事実の要旨は、被告人隈部は昭和二十八年八月二十四日旅館「まつもと」で自己の職務に関し酒食等の御馳走を受け、もつて収賄したものである、というにある。ところが、右同日同旅館での状況は前記第一の一の(1)記載のとおりであつて、右のような状況の下でのジユースの御馳走はその価格からみて職務と関してなされたものと即断し難いので、同被告人が自己の職務に関してジユース等の御馳走を受けたと断定することをえないので、結局右公訴事実は犯罪の証明が十分でないことに帰する。

第三、被告人大井兼次に関する分(昭和二十九年十一月四日附起訴状(同年(わ)第四五八号)記載の公訴事実中、第二の中第一の二、三、四に照応する部分)

右公訴事実の要旨は、被告人大井は昭和二十八年五月十七日、同月二十二日、同月三十日旅館「まつもと」で自己の職務に関し酒食の御馳走を受け、かつ前記会社女事務員若松信子と情交し、もつてそれぞれ収賄したものである、というにある。ところで前記第一の四記載のとおり右の各日に被告人大井が同旅館に行つたこと自体を確定することができないので、右各公訴事実は結局犯罪の証明が十分でないことに帰する。

第四、被告人横山肇に関する分。(昭和二十九年十月八日附起訴状(同年(わ)第四〇七号)記載の公訴事実中、第二の中第一の別表六に照応する部分)

右公訴事実の要旨は、昭和二十八年六月十五日旅館「まつもと」で自己の職務に関し、酒食の御馳走を受け、かつ松井葉留子と情交し、もつて収賄したものである、というにある。ところが、前記第一の五記載のとおり右同日同被告人が同旅館に行つたこと自体を確定することができないので、右公訴事実は結局犯罪の証明がないことに帰する。

第五、被告人草野透に関する分(昭和二十九年十一月八日附起訴状(同年(わ)第四六一号)記載の公訴事実中、第二の中第一の(三)、(四)に照応する部分)

一、第一の(三)に照応する部分。右公訴事実の要旨は、被告人草野は昭和二十八年八月十日鹿児島市堀江町七十八番地の「さつま温泉」附近の某旅館で、自己の職務に関し松井葉留子と情交し、もつて収賄したものである、というにある。しかし、前記第一の二記載のとおり被告人草野が自己の職務に関し同女を前記旅館に誘い出して情交を結んだと確認することはできないので、右公訴事実は結局犯罪の証明がないことに帰する。

二、第一の(四)に照応する部分。右公訴事実の要旨は、被告人草野は昭和二十八年八月二十七日国鉄鹿児島駅で自己の職務に関しサントリーウイスキー角瓶一本および肴若干を受領し、もつて収賄したものである、というにある。ところが被告人草野の昭和二十九年十一月二日附、松井葉留子の同年十月二十三日附、同月二十八日附各供述調書を綜合すると、右同日松元社長の命令により右松井が上京する被告人草野を西鹿児島駅に見送り、ウイスキーの包装したものを同被告人に差し出したところ、同じく見送りに来ていた同被告人の妻がそのようなものを受領してはいけないといつて右物品を松井に返そうとし松井はこれを受取らず、右両名の間に感情的な押問答があつたあげく、どうしても松井が受取らないので、被告人草野の妻がやむを得ずそれでは当方で処分するといつて持ち返り、天理教布教師の寺田某にその処理を一任したことが認められる。右のような事実関係においては、同被告人が右品物を受領したとも、また同被告人の妻が同被告人に代つて受領したとも認定することは相当でなく、他に受領を肯認するに足る証拠がないので、右公訴事実は結局犯罪の証明がないことに帰する。

第六、被告人上妻正行、同浜畑常吉に関する分(昭和二十九年十一月二十九日附起訴状(同年(わ)第五一二号)記載の公訴事実中、第一の(三)第三の点。

右各公訴事実の要旨は、被告人上妻正行は被告人浜畑常吉の前記職務に関し種々便宜を計つて貰いたい趣旨で、昭和二十八年十二月三十日頃鹿児島市山之口町天文館附近で被告人浜畑常吉に対し現金五万円を贈与して、もつて贈賄し、被告人浜畑常吉は被告人上妻正行が自己の職務に関し贈与するものであることの情を知りながら右現金を収受し、もつて収賄したものである。というにある。

ところで、第一回公判調書中には被告人浜畑の「右の事実は全然ない」旨の供述記載があり、被告人上妻も第四回公判廷で弁護人の問に対し、「浜畑に右の現金を贈与した記憶はなく、検事にも贈与していないと思うと述べた、つまりリストには載せているが実際は自分が佐世保にいる子供に送つている旨供述している。

而して、「顧問料(昭和二十八年十二月)」と題する書面(証第四号)には「浜畑五万円」なる旨の鉛筆による記載があり、「本社十二月分収支明細書」なる書面(証第五号)の顧問料欄には「十二月三十日〈ハ〉」なる旨の記載がある。右と中野晴雄の検察官に対する昭和二十九年十一月十六日附供述調書および谷口登の検察官に対する同月六日附供述調書を綜合すると、前記各記載は谷口登の筆蹟であり、被告人浜畑に交付する分として金五万円を支出したことを意味する趣旨の記載であると認められ、右谷口の同月六日附供述調書には被告人上妻より年末被告人浜畑にやるから金を出すようにといわれて現金を上妻に渡した旨の記載がある。従つて右各証拠によると、被告人上妻が被告人浜畑に贈与するという名目で谷口より金五万円を受領していることは窺われるのである。しかし、被告人上妻が被告人浜畑に右五万円を贈与したのかどうかの点について証拠関係を検討すると、次のとおりである。

被告人上妻の検察官に対する昭和二十九年十一月二十五日附供述調書(同日附の調書は二通あるが、最初の方に編綴してある分)には、浜畑に五万円贈与した趣旨の記載があるのは私が会社より受領したのは事実だが、浜畑には渡さないで、自分が費消した旨の記載がある(なお同調書には小城課長に贈与する分の十万円も自分が受領したが、当時弟の善教が裸同然で頼つて来たので同人に世帯を持たせるために費消した旨の記載がある)。そして、同被告人の同月二十九日附供述調書には、浜畑に年末金を贈与したような記憶が甦らないので贈与していない趣旨の供述をしていたが、自分も多忙であつたから或は贈与していたかも判らないので、その辺のことは検察官の捜査に任せる外はない旨の記載がある。

被告人浜畑の検察官に対する昭和二十九年十一月十二日附供述調書には、昭和二十八年十二月二十九日か三十日に上妻より三万円か五万円貰つた旨の記載があり、同月二十九日附供述調書には、十二月三十日頃五万円か三万円受領したことを確認している旨の記載があるが、その受領の金額、日時についてもその記憶が不正確であり、その受領した金員の処置等についてもこれを窺う余地のない漠然たる供述にすぎないので、同被告人の右供述記載は信用しがたい。前示のとおり被告人上妻が被告人浜畑に贈与するといつて谷口登より金五万円を受領したことは窺われるが、右金員を果して浜畑に贈与したかどうかについては、右各証拠によつては当裁判所の心証を惹起するに足りないので右公訴事実は結局犯罪の証明が十分でないことに帰する。

第七、被告人曽木隆輝に関する分(昭和二十九年十一月一日附起訴状(同年(わ)第四五四号)記載の公訴事実中第二の一、二及び昭和二十九年十一月十一日附起訴状(同年(わ)第四七三号)記載の公訴事実中第二の点。)

一、昭和二十九年十一月一日附起訴状(同年(わ)第四五四号)の第二の二の中第一の二の八に照応する点、同月十一日附起訴状(同年(わ)第四七三号)の第二の点。

右公訴事実の要旨は、被告人曽木は昭和二十八年九月一日旅館「まつもと」で自己の職務に関し請託を受け酒食の御馳走になつた点と、同じく同年六月九日同旅館で同趣旨で酒食の御馳走になり、かつ前記会社女事務員船川二見と同衾して、もつて収賄したものである、という二点である。ところが、前記第一の六、七記載のとおり被告人曽木が右各日同旅館に行つたこと自体を確定することができないので、右各公訴事実は結局犯罪の証明が十分でないことに帰する。

二、昭和二十九年十一月一日附起訴状(同年(わ)第四五四号)記載の第二の一の点。

右公訴事実の要旨は、被告人曽木は昭和二十八年六月二日旅館「まつもと」で自己の職務に関し請託を受け、酒食の御馳走になり、かつ前記会社女事務員船川二見と同衾し、もつて収賄したものである、というにある。

ところで、右同日同被告人が同旅館に行き、若干の御馳走になつたことは、同被告人の当公廷における供述、検察官に対する第六回、第七回、第一〇回各供述調書、松元道生の同じく昭和二十九年十月二十六日附、町田万里子の同じく同月十八日附若松信子の同じく同月十九日附各供述調書及び運転日報(証第五号)、請求書綴(証第四号)を綜合すれば、これを認めることができる。しかして、同日被告人曽木が地福馨の案内によつて同旅館に行つたことは被告人曽木および地福馨の検察官に対する各供述調書により明らかであるが、被告人曽木は右は天洋建設と関係がなかつたものであると主張する。

ところで先ず、当日被告人地福馨が被告人曽木に対して、どのような趣旨のことを伝えて旅館「まつもと」に案内したかの点を検討するに、被告人曽木によれば当時県会議員であつた地福馨から「県会のことで相談に乗つて貰いたいことがあるから会つて貰いたい」旨の連絡があつたので、地福差し廻しの自動車で旅館「まつもと」に行つたので、同旅館は地福の常宿と思つていたというのである(被告人曽木の当公廷における供述、同被告人の検察官に対する第二回、第八回各供述調書)。ところが、地福馨の検察官に対する昭和二十九年十月七日附供述調書には、「松元社長が会いたいというから会つてやつてくれといつて頼み、宴席で松元が水道工事の方はよろしくお願いしますと言い出したので、これを制止した」旨の記載があり、同じく同月十二日附の供述調書には、略同趣旨の記載のほか、「実は県会の話もありますから、といつて案内した」旨の記載がみられ、同じく同月二十八日附の供述調書には、右の県会云々の記載がない。而して、先ず宴席で松元社長が工事の話を仕掛けたのでこれを止めた事実の存否につき考究してみると、松元によれば、同人はかつて曽木の妻の妹の縁談を世話したところ失敗に終つたことがあつたので曽木の宴席には出席しなかつたといい(松元の検察官に対する昭和二十九年九月十四日附、同年十月四日附供述調書、当公廷における供述)、被告人曽木も右松元の出席しなかつた点を肯定する(曽木の検察官に対する昭和二十九年十月二十日附供述調書)。従つて宴席で松元社長が工事の話をしたという点は其の宴席に松元社長が出席したこと自体が疑問であるのみならず、また、大渡義夫の検察官に対する昭和二十九年九月十九日附供述調書によれば、松元道生は幹部達に対し、接待の宴席では仕事を頼むような事を絶体するな、愉快に飲んで貰えばよいのだ、支那での宴会は皆そうしている旨語つていたことが認められ、その意図を極力秘匿する方針を取つていたことから考えても、松元社長が宴席で工事の話をしたとは甚だ疑問である。従つて松元社長が会いたいというから会つてやつてくれと云つて案内した旨の地福の供述調書の記載も輙く信用し難く、地福馨の県会議員としての地位、被告人曽木の加治木町長ないし町村会長としての地位等を考慮すると、却つて被告人曽木の主張するごとく、地福馨が県会内の出来事の調整を依頼する趣旨を伝えてその名目の下に案内したと認めるのが相当である。次に出席者としては、地福馨、大渡義夫、幸田宏と認められる(曽木の検察官に対する第二回、第三回、第八回、地福馨の同じく昭和二十九年十月二十八日附、大渡の同じく同月六日附、幸田宏の同月二十六日附各供述調書)が、曽木の供述によれば地福馨以外の二名の者については、紹介されなかつたといい、(曽木同上第二回)これを覆すに足りる証拠はない。なお宴席の話題としては県会の話及び雑談に終始し、工事関係の話が出なかつたと認められることは前示のとおりである。宴後、船川二見と同衾していることは認められるが、これも被告人曽木の供述によれば県会議員である地福馨個人の接待であつたと思つたというのであるが、そうでないと断定するに足る証拠はない。なお、天洋建設株式会社の業務日誌(証第六号)によれば被告人曽木が当日同会社事務所を来訪した趣旨の記載があるが、右は旅館「まつもと」来訪の誤記であることが認められる(船川二見の検察官に対する昭和二十九年十月十五日附、町田万里子の同月十八日附、若松信子の同月十九日附、松元道生の同月二十六日附、大渡義夫の同月二十八日附各供述調書)。松元道生および地福馨の検察官に対する供述調書中叙上の認定に反する供述記載部分は信用することができない。従つて、全証拠によるも被告人曽木が旅館「まつもと」において御馳走になり、かつ右船川と同衾したのは起訴状記載のように被告人松元、地福馨、大渡、地福尚哉、幸田等から自己の職務に関して供与されるものであるという認識があつてしたと断ずることはできないと考えられるので、右公訴事実については犯罪の証明がないことに帰する。

三、昭和二十九年十一月一日附起訴状(同年(わ)第四五四号)記載の公訴事実中第二の中、第一の二の(イ)、(ロ)、(ニ)に照応する点。

右公訴事実の要旨は、被告人曽木は、旅館「まつもと」で、自己の職務に関し請託を受け、1、昭和二十九年六月十九日酒食の御馳走になり、2、同年七月八日酒食の御馳走になり、かつ前記会社女事務員船川二見と同衾し、3、同年九月上旬酒食の御馳走になり、かつ前記会社女事務員地福光子と情交し、もつてそれぞれ収賄したものである、というにある。

ところで、右の各月日に被告人曽木が旅館「まつもと」に行つたことは、右(1)については自動車運転日報(証第五号)、請求書綴(証第四号)、船川二見の検察官に対する昭和二十九年十一月十五日附、町田万里子の同年十月十八日附各供述調書、(2)については自動車運転日報(証第五号)、請求書綴(証第四号)、工事出面表(証第一六号)、超過勤務控綴(証第一七号)、船川の昭和二十九年十一月五日附、町田万里子の同年九月二十八日附及び同年十月十三日附各供述調書、(3)については金銭出納簿(証第三号)及び地福光子の昭和二十九年十月十九日附供述調書を綜合すれば、次のような顕著な特徴的な事柄に照し、同被告人が同旅館を訪れたこと自体は、これを認めることができる。即ち、(1)については、同被告人が例になく早い時刻に(午後七時三十二分)同旅館を出ていること。(2)については、町田万里子、船川二見が同被告人の車に同乗して林田バスの天文館停留所まで送つていること。(3)については地福光子と情交関係のあつたこと。

ところが、被告人曽木の第二回、第八回各供述調書によると、同被告人が第一回目に前記旅館に行つたのは前記二記載のとおり地福県議に案内されていつた時であり、第二回目に同旅館を訪れたのは前回同県議に依頼された件の結果を報告するためであつたこと、及び結果報告に行つた時地福馨が不在で大渡が応待に出たこと、同被告人が大渡に対し、「依頼のあつた県会の方はうまく話をつけたから地福君にうんとおごるように伝えてくれ」といつたこと、大渡が被告人曽木に対し、加治木町で施行する上水道工事の起債や工事量等工事関係のことを尋ね、工事についてはよろしく頼む旨依頼したこと、被告人曽木が同旅館に第三回目に行つたとき地福光子と情交したように思うが、その際仲居に勘定を頼んだら、後でよいから、ということであつたが、支払うつもりで財布を出したら仲居(岩山ムメ)が受取らず、而も自動車が来ていたので、それでは後からにしようと考えて、支払いしないまま帰つた旨の記載がある。而して、被告人曽木の第十回供述調書に、船川二見と町田万里子が自分の車に同乗して林田バスの所まで見送つてくれたことがあるので(これは前記のとおり証拠上昭和二十八年七月八日の事実と認められる)結局旅館「まつもと」に行つたのは合計四回である旨の記載がある。而して、被告人曽木は当公廷において婦女との同衾若しくは情交の点については、結局女遊びのつもりであつたと供述する。ところで、大渡義夫の昭和二十九年十月六日附、同月七日附、同月二十八日附各供述調書には、大渡と曽木との間に、前記のごとき工事関係の話が出た旨の記載があり、また、証人岩山ムメの当公廷における供述、同女の昭和二十九年十月二十一日附供述調書によれば、被告人曽木がその供述のごとく勘定をしてくれといつたところ、仲居岩山ムメから勘定は後でよいからといわれたこと、被告人曽木の第七回供述調書、船川二見の昭和二十九年十月十五日附、地福光子の同月十九日附各供述調書によれば、同被告人は右船川、地福に各五百円見当の金員を与えていることがそれぞれ認められる。

ところで、右各公訴事実は、被告人曽木の主張する第二回目以後のことである(第一回目については前記二記載のとおり)。しかしながら、同被告人のいう第二回目、第三回目が、前示各公訴事実のどれに該当するのか、或いは起訴外の事実であるのか、証拠関係を検討すると次のとおりである。

以上述べたごとく、被告人曽木の供述調書には同被告人が第二回目(被告人大渡も第二回目というところの)の訪問の際、被告人大渡と会い、天洋建設株式会社と関連する工事関係の話をしている旨の記載があり、殊に、被告人曽木の第九回供述調書には、右の工事の話があつたので自分に対する接待は職務に関しているのではなかろうかと思うに至つたという趣旨の記載もあるが、同被告人は当公廷において右趣旨のことを検察官に対して供述したのは係官に迎合したもので事実に反すると供述している。そこで、その当否を検討するに、被告人曽木に対する本件の全公訴事実として、(一)昭和二十八年六月二日、(二)同月九日、(三)同月十九日、(四)同年七月八日、(五)同年九月一日、(六)同年九月上旬頃の六の事実があげられている。而して、被告人曽木、同大渡のいわゆる第二回目の接待の日を考える際、先ず(一)の六月二日(これは第一回目の接待である)と第六の九月上旬頃(これは地福光子と情交関係のあつた日である)を除外し次に証拠上認められない(二)の六月九日と(五)の九月一日(いずれも既述したところである)を除外せざるを得ない。然らば、(三)の六月十九日であるのか、(四)の七月八日であるのか、或いはそれ以外の日であるのか、について証拠を検討すると次のようになる。即ち、被告人大渡の昭和二十九年十月二十八日附供述調書には同被告人が被告人曽木を接待したのは運転日報等色々な事情を考え合せてみると、六月十九日であろうと思う旨の供述記載がある。そこで、果して然らば六月十九日であるかどうかを検討すると、先ず被告人曽木の第六回、第七回ないし第九回各供述調書には、いずれもいわゆる第二回目の接待の際船川二見と同衾した旨の記載がある。また船川二見の昭和二十九年九月二十五日附供述調書には、工事出面表の右船川と町田万里子の欄の右の六月十九日のところには、情交関係をあらわす二重丸のしるしがあるが、それは船川の相手が隈部、町田の相手が四元である旨の供述記載がある(なお、右の六月十九日の事実は公訴事実にも右船川との同衾はない)。従つて被告人曽木、同大渡のいわゆる第二回目の接待が右の六月十九日であると断定するには疑問の余地がある。また、前記(四)の七月八日も、(三)の六月十九日に被告人曽木が同旅館に行つたことが認められる以上(いわゆる第二回目の接待であるかどうかの点は別として)、その後であるこの日をいわゆる第二回目の接待の事実と考えることは論理的におかしい(証拠上少くとも第三回目であるから)。従つて、被告人曽木、同大渡のいわゆる第二回目の接待(前記のとおり天洋建設株式会社に関連する工事の話が席上出ている旨の供述記載があるので重要である)が、公訴事実のどの日であるのか、或いは公訴事実外の日であるのか、確定することができない。ただ単にその日時が確定し得ないのみでなく、それが第二回目であることも確定し得ず、その上、松元社長は宴席では仕事の話をしてはならない旨言明していたことは前示のとおりであり、又証人岩沢藤夫の証言等によりみとめられる被告人曽木の大まかな性格人柄に徴すれば、其の際大渡から工事の話が出て、曽木が職務に関するやの不安を感じた旨の供述にも其の真偽につき疑惑の念を生ぜざるを得ない。また他面被告人曽木が料金を支払つていないことは明らかであるが、第一回目(昭和二十八年六月二日)は被告人地福馨の県会のことに関する個人的な招待であり、それとその後結果報告に行つたときには地福馨に接待を受けるものと被告人曽木が考えたのは無理もないことであり、その後の分については料金支払の意思を表明したことは前述のとおりで、このことよりして饗応を受ける意思のなかつたことを推知し得るし、其の後支払つていないことだけでは市町村長、町村会長たる同被告人の地位に照し又仲居岩山ムメが勘定は後でよいといつていたこと等よりみて直に支払の意思がなかつたものと即断することは出来ない。

なお、指名願書(証第六〇号)、松元道生の昭和二十九年十月四日附供述調書によれば、被告人曽木が天洋建設株式会社提出の指名願書に、地福県議の会社だから考慮するようにという旨を朱筆していること、同会社に指名していることは認められるが、南友工事株式会社の指名願書(証第六四号等)によれば、同時に国会議員である赤路友蔵の関係する同会社にも指名していることも認められる。従つて、被告人曽木が旅館「まつもと」で御馳走になつたことと、右指名とを直ちに関連させて右饗応が職務に関するとの認識があつたものと断ずるに足りない。右認定に反する証拠は前述の事情に照したやすく信用できない。従つて、以上の公訴事実は結局犯罪の証明が不十分であるということに帰する。

第八、被告人四元幸男に関する分(昭和二十九年十一月一日附起訴状(同年(わ)第四五三号)記載の公訴事実中第二(但し、第一の1ないし4に照応する部分)

一、第一の3に照応する部分。右公訴事実の要旨は、被告人四元は昭和二十八年六月十九日旅館「まつもと」で自己の職務に関し御馳走を受け、かつ船川二見と情交し、もつて収賄したものである、というにある。ところが、前記第一の三の(1)記載のとおり同被告人が右同日同旅館に行つたこと自体を確定することができないので、右公訴事実は結局犯罪の証明が不十分であるということに帰する。

二、第一の4に照応する部分。右公訴事実の要旨は、被告人四元は昭和二十八年七月二十四日旅館「まつもと」で自己の職務に関し御馳走を受け、もつて収賄したものである、というにある。ところが前記第一の三の(2)の記載のとおり、贈賄者側に贈賄の意図が認められない以上、収賄についてもこれを認定することができないので、右公訴事実は結局犯罪の証明が不十分であることに帰する。

三、第一の1に照応する部分。右公訴事実の要旨は、被告人四元は昭和二十八年五月五日旅館「まつもと」で自己の職務に関し御馳走を受け、かつ船川二見と同衾し、もつて収賄したものである、というにある。而して、被告人四元が右同日同旅館で若干の御馳走になり、かつ同女と同衾したことは同被告人の認めるところである外、前記第二の(1)記載のとおりこれを認定することができる。ところで、被告人四元が右同日同旅館に行くに至つた事情を検討してみるに、同被告人の昭和二十九年十月十一日附、地福馨の同年十一月十日附、同月二日附各供述調書によると、当時県会議員であつた被告人地福馨が被告人四元と元県庁の同僚であつたところから同被告人の課長補佐になつた祝いの意味で一席設けたという旨を同被告人に伝えて同旅館に案内したものであることが認められ、また被告人地福馨の前掲調書には、その席上被告人隈部に対し、被告人四元を引き立ててやつてくれと述べた旨の記載がある。また被告人四元の昭和二十九年十月十一日附供述調書、船川二見の同月十四日附の各供述調書によると、被告人四元は当日船川二見と同衾していることは認められるが、同被告人は翌朝同女に対し金千円を与えていることが認められる。従つて、被告人四元が、被告人地福馨が天洋建設の会長としての立場を離れ元の同僚であつた立場から個人的に自己に御馳走をし、婦人を提供してくれたものと信じていたとも疑われ、これを排斥して職務に関し饗応せられるものと認識していたことを確認するに足る証拠がない。よつて右公訴事実は結局犯罪の証明が不十分であるというに帰する。

四、第一の2に照応する部分。右公訴事実の要旨は、被告人四元は昭和二十八年六月十三日旅館「まつもと」で自己の職務に関し御馳走を受け、かつ船川二見と情交し、もつて収賄したものである、というにある。ところで、同被告人が右同日同旅館に行つたこと自体は同被告人の認めるところであり、なお工事出面表(証第一六号)、船川二見の昭和二十九年十月十四日附供述調書に照し、これを認めることができる。しかしながら、同被告人の昭和二十九年十月二十一日附供述調書には、右同日同被告人は夜遅くなつてから酔つて同旅館に行つた記憶があるが、仲居に「今日は勘定を支払うから」と言つた記憶があり、また当夜酒肴等は出なかつたと思う旨の記載がある。而して、右のようでなかつたと断定し得る証拠が不十分である。また、同被告人の当公廷における供述、昭和二十九年十月十一日附、同月二十一日附各供述調書、被告人大渡義夫の当公廷における供述、証人町田万里子の証言を綜合すると、次のことが認められる。即ち、被告人四元は昭和二十八年七月下旬頃現金五千円を封筒に入れ、天洋建設の事務所に持参し、町田万里子に対し松元社長に渡してくれるよう依頼したこと、同女は急用であると困ると考え開封してみたところ右金員と飲食費宿泊費等に充当して貰いたいという趣旨を記載した手紙が同封されていたこと、その翌日被告人大渡がそれを返却に行つたこと、被告人四元がその受領を拒んだこと、その際同被告人が被告人大渡に対し右金員が飲食費宿泊費等として不足であるかどうか尋ねたところ、被告人大渡が料金の額としては右額で十分であると返答していることが認められる。してみれば、被告人四元が当公廷において同旅館での飲食等は職務に関しない個人的なものであると解していたので右金員を支払つた旨の主張するとおり同被告人には対価を支払う意思があつたもので、収受する意思でなかつたと一応推測される。そして右の推測を覆し職務に関し賄賂を収受する意思があつたことを認め得る証拠がない。よつて右公訴事実は結局犯罪の証明が十分でないということに帰する。

以上第一ないし第八の点につき、結局いずれも犯罪の証明が十分でないことに帰するので、刑事訴訟法第三百三十六条により主文において無罪の言渡をなすべきものとする。

2、主文において言渡さなかつた無罪の点の理由

第一、被告人松元道生、同地福馨、同大渡義夫、同地福尚哉、幸田宏に対する淫行勧誘の点(贈賄の点と観念的競合をなすと認められるもの)

一、昭和二十九年十月八日附起訴状(昭和二十九年(わ)第四〇七号)記載の公訴事実中、第三(但し、第一の別表六に照応する部分を除く)(横山関係)

二、昭和二十九年十一月一日附起訴状(同年(わ)第四五二号)記載の公訴事実中第三の点(熊原関係)

三、昭和二十九年十一月一日附起訴状(同年(わ)第四五三号)記載の公訴事実中、第三の点(但し、第一の3に照応する部分を除く)(四元関係)

四、昭和二十九年十一月四日附起訴状(同年(わ)第四五八号)記載の公訴事実中、第三(但し、第一の二、三、四に照応する部分を除く)(大井関係)

第二、(横山関係)被告人松元道生、同地福馨、同大渡義夫、同地福尚哉、同幸田宏に対する贈賄、同横山肇に対する収賄中、一罪の中の一部無罪と認められる点。

一、昭和二十九年十月八日附起訴状(同年(わ)第四〇七号)記載の公訴事実中第二(但し、第一の別表一に照応する部分)(収賄)の点。

二、昭和二十九年十月八日附起訴状(同年(わ)第四〇七号)記載の公訴事実中、第一の別表二(贈賄)、第二(同上に照応する部分)(収賄)の点。

第三、(大井関係)被告人松元道生、同地福馨、同大渡義夫、同地福尚哉、同幸田宏に対する贈賄、同大井兼次に対する収賄の点。昭和二十九年十一月四日附起訴状(同年(わ)第四五八号)記載の公訴事実中、第一の一、第二(但し、同上に照応する部分)

第四、(四元関係)被告人松元道生、同地福馨、同大渡義夫、同幸田宏、同地福尚哉に対する贈賄の点。昭和二十九年十一月一日附起訴状(同年(わ)第四五三号)記載の公訴事実中第一の2の点。

第一、被告人松元道生、同地福馨、同大渡義夫、同地福尚哉、同幸田宏に対する淫行勧誘の点(贈賄の点と観念的競合をなすと認められるもの)

一、昭和二十九年十月八日附起訴状(昭和二十九年(わ)第四〇七号)記載の公訴事実中、第三(但し、第一の別表六に照応する部分を除く)(横山関係)

右公訴事実の要旨は、頭書被告人等は、判示第二の五(横山関係)記載のとおり、共謀の上、営利の目的をもつて、淫行の常習のない前記会社女事務員松井葉留子を勧誘し、被告人横山肇と情交させ、もつて淫行を勧誘したものである、というにある。

二、昭和二十九年十一月一日附起訴状(同年(わ)第四五二号)記載の公訴事実中、第三の点(熊原関係)

右公訴事実の要旨は、判示第一の三の(五)(熊原関係)記載のとおり、前同様前記会社女事務員町田万里子を勧誘し、被告人熊原徹と情交させ、もつて淫行を勧誘したものである、というにある。

三、昭和二十九年十一月一日附起訴状(同年(わ)第四五三号)記載の公訴事実中第三の点(但し、第一の3に照応する部分を除く)(四元関係)

右公訴事実の要旨は、判示第一の三の(八)(四元関係)記載のとおり前同様前記会社女事務員船川二見を勧誘し、被告人四元幸男と情交させ、もつて淫行を勧誘したものである。というにある。

四、昭和二十九年十一月四日附起訴状(同年(わ)第四五八号)記載の公訴事実中第三(但し、第一の二、三、四に照応する部分を除く)(大井関係)

右公訴事実の要旨は、判示第一の三の(二)の別表(5)ないし(10)記載のとおり前同様前記会社女事務員若松信子を勧誘し、被告人大井兼次と情交させ、もつて淫行を勧誘したものである、というにある。

ところで、右各淫行勧誘の対象となつた前記会社女事務員松井葉留子(横山関係)、町田万里子(熊原関係)、船川二見(四元関係)、若松信子(大井関係)は、いずれも、前記会社に入社の当時同会社の指定する者と対価を得て情交関係を結ぶことを承諾していたと認められ、而も右各公訴事実記載の当時既にそれぞれ当該起訴以外の者と右約旨に基き対価を得て情交関係があつたことが認められるので、右各公訴事実については、淫行勧誘罪にいわゆる淫行に常習のない婦女とみないのが相当と考えられる。従つて、各淫行勧誘の点は成立しないと考えられるのであるが、同時に起訴された贈賄の点と観念的に競合するものとみられるので、主文において特に無罪の言渡をしない。

第二、(横山関係)被告人松元道生、同地福馨、同大渡義夫、同地福尚哉、同幸田宏に対する贈賄、同横山肇に対する収賄の中、一罪の中の一部無罪と認められる点。一、昭和二十九年十月八日附起訴状(同年(わ)第四〇七号)記載の公訴事実中、第二の中第一の別表一に照応する収賄の点について。

右公訴事実は、要するに被告人横山肇に係る昭和二十八年五月二十七日の収賄の点である。ところが、右起訴状記載の公訴事実中、第一の別表一、第二の中同上に照応する点によれば、贈収賄の賄賂は金一万千三百円相当の御馳走と婦女との情交である。而して、贈賄の点については五百円見当の御馳走と婦女との情交の限度で犯罪が成立すると考えられることは判示第一の三の(一)のとおりである。また、収賄の点の中、婦女との情交については犯罪が成立すると考えられることは前同様判示のとおりであるが、御馳走の点について検討すると次のとおりである。即ち、被告人横山の検察官に対する昭和二十九年九月二十六日附供述調書によれば、当時県会議員であつた相被告人地福馨が鹿児島県土木出張所に退庁時刻頃被告人横山を訪れ、打合せたいことがあるから一緒に来てくれと云つたので、同被告人は同出張所事務主任羽牟富太郎外一名と共に地福県議の乗つて来た自動車に同車したところ、案内されたのが旅館「まつもと」であつたこと、而して、同旅館での地福よりの話は、谷山町から伊作町に通ずる県道の一部を舗装するようにして貰いたいという陳情であり、これに対し被告人横山は右趣旨には賛成であるが予算の都合もあるから簡単には実現しないだろうと答えたこと、同日同旅館で被告人横山等が若干の飲食物の御馳走になつたことが認められる。而して相被告人松元道生は会社幹部達に対し、宴席では仕事を頼むようなことは絶対にしないよう注意し、極力贈賄の意思を相手に秘匿していたことは曽木に関する無罪理由中に指摘したとおりである(第七の二)。従つて被告人横山が女の提供を受けた当時は格別右のごとく若干の飲食物の御馳走を受ける当時すでに自己の職務に関して供与されるものであるという認識があつたと断定することは困難であるので、御馳走の点は犯罪の証明が不十分であるものとしてその成立を認めないのが相当である。

二、昭和二十九年十月八日附起訴状(同年(わ)第四〇七号)記載の公訴事実中、第一の別表二(贈賄)、第二の中同上に照応する収賄の点について。

右各公訴事実は、要するに被告人横山に係る昭和二十八年六月四日の贈収賄の点である。ところが、右公訴事実によれば、右賄賂は金二千百五十円相当の御馳走と婦女との情交である。而して、右の中婦女との情交については犯罪が成立すると考えられることは判示第一の三の(一)のとおりである。しかし、右にいう約一万円相当の御馳走について検討すると次のとおりである。即ち、被告人横山の検察官に対する昭和二十九年九月二十六日附、羽牟富太郎の同じく十月一日附各供述調書によれば、同日旅館「まつもと」で鹿児島地区土木協会主催の会計検査の準備及び災害事務の打合せ会が行われ、管内町村、出張所より係員十数名が参集し、被告人横山が事務主任前記羽牟等と出席し、右協会の宴会において若干の飲食をしていることが認められる。しかしながら、右に要した費用、即ち宴会費一万五千二百円、焼酎代九百円計一万六千百円は同旅館よりの請求により同協会より支払つていることも認められる。右のごとき宴会の性質、費用の額、支払等よりみれば、被告人横山が右宴会で飲食したことをもつて収賄となすことは明らかに相当でない。従つて右宴会後被告人横山が婦女と情交したことは別として、右宴会における飲食自体は賄賂と見ることはできない。

第三、(大井関係)被告人松元道生、同地福馨、同大渡義夫、同地福尚哉、同幸田宏に対する贈賄、同大井兼次に対する収賄の点。昭和二十九年十一月四日附起訴状(同年(わ)第四五八号)記載の公訴事実中、第一の一、第二の中同上に照応する点。

右公訴事実は、要するに、被告人大井兼次に係る昭和二十八年五月上旬の贈収賄の点である。ところが、右公訴事実によれば、右の賄賂は御馳走と鮫島葉子との同衾、木佐貫笑子との情交である。而して御馳走の点に関しては五百円見当の限度で判示とおり認定されるのであるが、婦女との同衾及び情交の点に関して検討すると次のとおりである。即ち、被告人大井の当公廷における供述、及び検察官に対する昭和二十九年十月十六日、木佐貫笑子の同月十四日附、松元道生の同月十二日附各供述調書によると、同被告人が鮫島葉子と旅館「まつもと」で同衾したとの点については、同女が泣き出したため同衾にまでも至らなかつたのではないかという疑いが濃厚であると認められる。また、同被告人が木佐貫笑子と情交したとの点については、右鮫島が同衾を拒んだ後、被告人幸田が冗談に旅館「まつもと」の帳場係りであつた右木佐貫に鮫島の代りになれと言つたため、同女は被告人大井と同車し、同被告人は同女が個人的に自分の意に従うものであると信じ、共に右満洲館に行き、情交関係を結んだものであること、同旅館の支払は同被告人がなし、また同女に対して千円を与えていることが認められるので、同被告人の婦女との同衾及び情交の点に関しては犯罪は成立しないと考えるのが相当である。

第四、(四元関係)被告人松元道生、同地福馨、同大渡義夫、同幸田宏、同地福尚哉に対する贈賄の点。昭和二十九年十一月一日附起訴状(同年(わ)第四五三号)記載の公訴事実中、第一の2の点。

右公訴事実は、被告人四元幸男に対する昭和二十八年六月十三日の贈賄の点である。ところが、右公訴事実によれば、贈賄の内容は約千九百二十円相当の御馳走と船川二見との情交である。而して右船川との情交の点については判示のとおり認定されるのであるが、前示主文において無罪を言い渡した点の理由第七の四記載のとおり同被告人は右同日酒肴等は、出なかつたと思うと主張しており、其の日起訴状記載のように酒肴が出たことを断定する証拠が十分でない。従つて婦女との情交の点については判示のとおり認定されるが、御馳走の点についてはその証明が十分でない。

一一、兼元および曽木関係の贈収賄につき請託の点を認めなかつた理由

昭和二十九年十月三十日附起訴状(同年(わ)第四五一号)記載の公訴事実中、被告人松元道生、同地福馨、同大渡義夫、同幸田宏は共謀のうえ、被告人兼元清隆に対し、同被告人の所掌事務である土木水道工事の執行に当り同会社のため工事下命並びに工事入札指名等につき便宜な取扱を得たい趣旨の請託をなし、同被告人は右請託を受けたとの点、並びに昭和二十九年十一月一日附(同年(わ)第四五四号)および同月十一日附(同年(わ)第四七三号)起訴状記載の公訴事実中、被告人松元道生、同地福馨、同大渡義夫、同地福尚哉、同幸田宏は共謀のうえ、被告人贈木隆輝に対し、昭和二十八年度加治木町上水道工事の入札、指名方につき便宜な取扱ありたい趣旨の請託をしたとの点については、いずれも右にいう将来一定の行為をすることについて依頼のあつたことが証拠上認定し難いので、公訴事実中右請託の点はすべてこれを認めなかつたものである。(昭和三一年六月二八日 鹿児島地方裁判所)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例